未来日本昔話(南京大虐殺の嘘 その6)

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 みなさん、民主党がこの震災のどさくさにまぎれて、ひどい法案を通そうとしています。旧名(新名を知らない)「人権擁護法案」です。これをやると、日本は共産主義のような密告社会になります。数年前、自民党でも、野中がこの法案を通そうとやっきになっていましたが、安倍晋三や中川昭一が必死につぶしていました。とにかく、民主党の主張する、人権擁護法案、夫婦別姓制度、外国人参政権は、日本解体三法案です。絶対に通してはなりません。自民党がいい、民主党がいいという基準じゃないのです。民主党では国がつぶれてしまうのです。なんで、こんなことが国民はわからなかったんだろう。不思議でなりません。

 さて、国民が民主党を政権政党につけたために、日本がつぶれてしまったと仮定しています。日本はつぶれて、北海道は、ロシアに、本州と四国はアメリカに、九州と沖縄は支那に支配されてしまいました。時は西暦2111年。場所は東京。おばあちゃんと12歳のまさる君の会話です。

ま「おばあちゃん、こんにちは。また来たよ。暑いね。今日もおいしいものをご馳走してね」

お「はいはい(笑)。まだ、午後3時だから、まずはおやつを食べなさい。こっそりとロシア領の北海道から、クランベリーのスィートポテトを取り寄せておいたからね。まさるは、これが大好物だったものね」

ま「わーい。これ、食べるとほっぺたが落ちそうになるんだよね。いただきまーす」

お「たくさんお食べ」

ま「うん(モグモグ)。ねえ、おばあちゃん、だいたい、南京大虐殺なんか、南京陥落から10年も後に開かれた東京裁判ではじめて出てきた話しなんだよね?」

お「そうだよ。10年もの間、どの国でも話題にならなかったし、支那の報道にもまったく出てこないし、抗議もされていないんだよ。おかしいねえ」

ま「話題にならないのは当たり前だよね。だって、南京陥落の当時の資料には殺人事件数の数は49件とされているんだもの」

お「おや、よく知っているね、それもね・・・」

ま「ストップ、おばあちゃん。僕に言わせて。それもその49件というのは、支那人が嘘八百並べ立てた作り話の合計数なんだ」

お「そうだね。うん、よく知っている」

ま「それに、30万人を虐殺したって言うけど、当時の南京には20万人しかいなかったんだ。さすが白髪三千畳の国だね。大げさに言ってさ。それどころか、南京陥落から4週間後には人口が25万人に増えてるんだよ。支那が言っているように、6週間も30万人を殺しまくったら、人口なんて増えるはずないじゃん」

お「そうだね。それに、南京陥落と同時に120人の日本の新聞記者やカメラマン、ジャーナリストや作家までが、取材のために入城しているんだけど、誰一人、虐殺を目撃している人間がいないんだよ。虐殺のうわささえなかったのさ。」

ま「おばあちゃん、南京大虐殺はやっぱりでっち上げなんだね」

お「決まっているよ、日本人がそんなことをするもんかね。でもね、不埒な日教組による戦後の誤った学校教育では、それを真実って教えたんだ。悲しいことだね。その日教組を支持母体にしているのが民主党だったのさ。国がつぶれるはずさね」

ま「大丈夫、おばあちゃん。日本人のDNAはしっかりと生きているよ。僕たちが必ずあの素晴らしい日本を再興するから」

お「楽しみだね」

ま「だから、おばあちゃん、長生きしてくれなきゃいやだよ」

お「はいはい。おや、こんな時間だね。まさる、人形町の方に足を伸ばしてみようか。ご飯を食べに行こう。玉ひでという、とってもおいしい、鳥鍋を食べさせてくれるお店があるのさ。鍋を食べた後は、残ったお汁で親子丼をするとたまらないよ」

ま「(ゴクッ)。楽しみ~。わーい。おなかがすいた~」

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このページは、宝徳 健が2011年7月29日 16:48に書いたブログ記事です。

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