親父の親父の物語

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 このシリーズは右のカテゴリー「親父の生き様 親父のひとりごと」に格納されています。

 私の親父(佳男)が、自分の親父(私の祖父:義一)のことをまとめて書いたものを紹介しています。これは、親族一家にひとつ、配られました。配ったのは、平成15年6月7日です。この日は、関西方面の親族の「寳德義一生誕百年祭」でした。

 今日書くところで、終わりですが、まだ付録が二つほどあります。本文は今日のところで終わりで、次から、その付録を書きます。

 お父さんは、"まぜごはん(かやく飯)が嫌いでしたから、出張したときは"まぜごはん"が炊かれました。食べ物の話ではありませんが、ボクが一番早く覚えたむつかしい英語は、出張のときにお父さんが口にする、ビューローでした。ツーリストビューロー(旅行代理店)です。必ずここに予約切符を依頼していました。

 今の子供と違い、ボクたちの時代は、お父さんに遊んでもらったことはありませんでしたが、お正月になると花札が開帳されたことは覚えています。テラ銭はミカンです。イノシカチョウ、マツキリボウズ、アオタン・アカタン・・・。

 明治37年(1904)4月25日に生れたお父さんは、昭和21年1月25日(1946)に戦病死したとされました。手続き上は、昭和33年「戦時失踪宣告」(どこで死んだかわからない)を受けて『死亡』とされましたが、「どこで死んだかわからない」というのは辛いことです。でも、いまの世、百歳なんて、長生きの部類に入らないから、ヒョットすると・・・。

おわり

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このページは、宝徳 健が2011年8月13日 09:51に書いたブログ記事です。

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