未来日本昔話(南京大虐殺の嘘 その14)

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 国民が民主党政権を選び、党の綱領もない民主党政権の愚策によって、日本がつぶれてしまいました。時は、2111年。 つぶれてしまった日本で、おばあちゃんとまさるくん(11歳)が、日本の正しい歴史を話し合っています。つぶれる前の日本人が、学ぼうとしなかった真実を。誰が正しいかではなく、何が正しいか。
 前回の続きです。
お「まさる、おやつの栗きんとんを持ってきてあげたよ」
ま「おばあちゃん、ありがとう」
お「勉強は進んだかい?」

ま「うん。新しくいろいろなことがわかってきた。南京の獄中では、囚われてしまった日本兵たちが、毎日新聞の記者、浅海の証言を待ち望んでいたんだ」
お「そこに、弟さんからの手紙が来た。その中には、元上官であった、冨山大隊長の証言文と浅海新聞の証言文が入っていた」

ま「そう。さすが、おばあちゃん。冨山大隊長の証言文には、そんな事実はないし、不可能だと書かれていた。でも、浅海の証言文には、その記事が自分の創作だったということは一切かかれていなかったんだ」
お「とんでもない記者だね。両少尉は、特に、冨山大隊長の証言文を証拠として、上訴した。でも、不埒な支那は、南京軍事法廷という名を借りて、この明々白々な証拠を完全に無視したんだよ」

ま「そして、昭和23年1月28日、両少尉は、銃殺刑にされるんだ。『支那のご奮闘を祈る。日本の敢闘を祈る。支那万歳。日本万歳。天皇陛下、万歳』と言ってね・・・・殺されたんだ・・・・・」
お「最後まで日支友好を願い、捨石となることを望んだ両少尉だった。雨花台(うかだい)刑場の雪の中で殺された・・・・・」

ま「・・・・・向井少尉が獄中から家族に宛てた手紙には『日本人に悪い人はいない。浅海氏にも書類を書いてくれた礼を伝えてくれ』と書いてあった」
お「野田少尉は、百人斬りの記事が捜索であることを獄中から訴えていた。なんと、残された手記には、浅海とのインタビューの一部始終が書かれてあった。そこには、浅海一男が、二人を誘導して面白おかしく、話を作り上げた内容がすべて書いてあった

ま「うん。あの、極悪人のアメリカでさえ、この件での処刑はちょっと無理なのではないかと支那に言ったんだ。でも、支那の梅汝敖(ばいじょごう)は、こう言い放ったんだ。『心配は要らない。そんなことより、GHQは、やつら二人を早く引き渡せ』と」
お「そして、銃殺・・・。」

ま「おばあちゃん。今日も、ここで晩御飯を食べていっていいかなあ。もう少し勉強したい。浅海一男、本田勝一、毎日新聞、朝日新聞の罪を明らかにしたい」
お「いいよ。勉強してね。じゃあ、おいしい晩御飯を作ろうかね。神戸の人から、『あなごの大谷』のあなごが送ってきたから、それを食べよう」
ま「わーい。ご馳走がたくさんでうれしいな。じゃあ、売国奴・国賊の勉強をするね。だから日本はつぶれたんだね。こんなマスコミが権力を握っていたから」
お「そうだよ。正しいことを勉強しておくれ。おじいちゃんがよく言っていた『誰が正しいかではなく、何が正しいか』だって」

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このページは、宝徳 健が2011年10月 8日 23:27に書いたブログ記事です。

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