未来日本昔話(南京大虐殺の嘘 その16)

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 前回に引き続き、今回は、毎日新聞の不埒さを解説します。嘘の報道を訂正もしなかった、いまや、第一の権力マスコミのひどさ。私たちはこんなものにだまされていたのです。

 時は2111年。国民の不勉強さから日本はつぶれてしまったと仮定しています。まさるくんは、11歳です。
ま「おばあちゃん、おはよう。今日も、雨で部活で休みだから、きちゃった」
お「まさる、いらっしゃい。来てくれるのがいつも楽しみだよ」

ま「今日は、100人斬りにおける毎日新聞のひどさだったね」
お「そうだよ。向井少尉の弟さんが、必死に『その記事は創作だった』と書いてくれとお願いしたのに、毎日新聞は口をつぐんで知らん顔を決め込んだんだ」
ま「自社の抱える記者が巻き起こした問題だったのに、真実を調べようともしない姿勢。両少尉が銃殺されたあとも、捏造記事に対する謝罪も訂正もしていないんだ。当時の日本のマスコミって、第一権力のようにのさばって、他人の非には、容赦なく激しく書き立ててすっぽんのようにくらいついて離さなかったのに、自分の非にはずいぶん甘かったんだね」

お「そうさ、それに騙されたから日本はつぶれてしまったんだ。まあ、国民が正しい歴史を学ばなかったからだけどね。大東亜戦争を『負けてよかった』と思っている日本人が大半だったんだ」
ま「はっ? 自国が戦争で負けたことを肯定する国民だったの? それじゃあ、国がつぶれて当然だね。」

お「まさるや、歴史を学ぶということがいかに大切かわかるね。」
ま「うん。 ところで、おばあちゃん、毎日新聞は、一度だけ、自社の『百人斬り報道は事実無根だ』と言ったことがあったんだ。」

お「そうだね。『平成元年3月 昭和史全記録』という年鑑が毎日新聞社から出版されたんだね」
ま「そうそう。その年鑑の中に、『南京入城と大虐殺』というページがあって、このページで、毎日新聞社は自らの百人斬り報道についてこう述べているんだ」

『この記事は当時、前線勇士の武勇伝として華々しく報道され、戦後は南京大虐殺を象徴するものとして非難された。ところが、この記事の百人斬りは事実無根だった』

お「誰しも、毎日新聞が非を認めたと思ったんだね」
ま「でも、何と毎日新聞は、両少尉の遺族が起こした法廷で、この『昭和史全記録』が提示され、報道の非を追及されると、こう逃げたんだ」

『それは執筆担当者が自らの判断で文献から引用し記載した。毎日新聞社の正式決定を経た公式見解ではない』

お「まあ、ひどいものだね。当時のマスコミは。毎日新聞社は、この年鑑を編集した、カメラ毎日の元編集長、西井一夫(当時故人)に罪をかぶせて逃げたんだ。毎日新聞が発行した年鑑でありながら、責任を編集者一人に押し付けるとは、言語道断だね」

ま「毎日新聞は、浅海一男の記事も昭和史全記録の記載についても、『毎日新聞には責任はない』の一点張りで逃げた。こんな新聞社が、つぶれる前の日本で平気で権力を振り回し続けたんだね」

お「まったくね・・・」
ま「おばあちゃん、お昼まで、本田勝一について、調べたいんだ。おじいちゃんの書斎を借りていい?」

お「いいともさ。じゃあ、お昼は何かおいしいものを作ってあげようかねえ」
ま「わーい」

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このページは、宝徳 健が2011年10月16日 06:16に書いたブログ記事です。

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