支那紀行 その13

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 つづきです。
 広州では、あとはあまり思い出がありません。とにかく、日本のメディアにだまされていた私は、支那とはどんな魅力的な国なのだろうかと、期待に胸を膨らませてやってきましたが、来てみたら愕然としました。だから、ショックの方が大きくて、特に、最初に入ったこの広州のことをあまり覚えていないのでしょう。

 この写真が残っていました。でも、ここの記憶はありません。
kosyuhakubutukan.jpg

 それと孫文の記念館みたいなところに行った覚えがあります。

 支那も日本のメディアも日本の教科書も、えらく孫文を持ち上げますが、どんでもない人物です。日本は、欧米に対抗するために、なんとか支那とのよい関係を築こうと、明治・大正・昭和と努力し続けますが、そのたびに、支那に裏切られます。漢民族なんてのはそんなものです。

 孫文なんか、日本人、梅屋庄吉をだまして、今のお金で換算すると2兆円のお金を騙し取り、まだお金がほしいから、欧米を遊んで回っている間に革命が終わります。

 三民主義というのは、中学か高校かで習いましたね、民族主義・民権主義・民生主義です。でも、これを唱えたあとで、5族共和を言い出しました。漢民族とその周辺の5族が三民主義の対象だということです。一見、みんな仲良くという表現ですが、自分に都合のよいように大義名分を作って他国を侵略するのが支那のやり方です。そうです、このときも、ウィグルと満州がほしかったから、こういう表現をしました。支那が歴史上、ウィグル・チベット・満州を自国にしたことはありません。

 社会主義国家というのは生産をしません。人から奪って自国を成り立たせます。日本は戦後、支那に官民合わせて6兆円以上の支援をしています。

 教科書とメディアと支那にだまされないようにしましょう。
 さあ、次は、広州(広東)から長沙(チャンシャー)に向かいます。乗った飛行機がすさまじかった。

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このページは、宝徳 健が2011年11月19日 06:47に書いたブログ記事です。

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