支那紀行

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 今、仙台空港です。今から大阪に帰ります。石巻まで行ってきました。震災後8か月経ってもまだまだ震災の足跡がいっぱい。でも、東北の方々は強い!

 さて、昨日の続きです。香港から支那の広州に入る列車の駅につきました。
 もう、名前は忘れましたが(写真は残っていますが)、この駅で、一人の日本人バックパッカーと遭いました。私たちが関西弁系統で話しているので、最初は支那人かと思っていて話しかけなかったそうです。失礼な!
 彼は一人旅。広州で別れました。

 香港から広州に行く途中の電車で、国境を越えると、「今までどこにいたの?」と不思議になるくらい、たくさんの人民解放軍の軍人が列車の中に現れます。おかしな奴がいないかチェックしているのでしょう。

 さて、広州について、両替をしました。確か7,000円ぐらいだったかなあ。1元が100円だったと記憶しているので、70元。でも、これが、支那人1家族が半年ぐらい暮らせるお金だと知ってびっくり。それと、私たち外国人には普通の人民元は交換してくれません(今はどうか知りませんが)。外貨兌換券(ハイフォエ)というものが私たちが使うお金です。このお金を持っていると、良いものが変えるので、交換してくれと支那人にせがまれます。人民元1.5倍~2倍と交換してくれと言われます(しませんでしたが)。

 広州でもホテルは予約していません。広州駅を降りて、最初、あるホテルに行きました。すると、「お前たち外国人はここには泊まれない。向こうのホテルに行けと、「東宝飯店(だと記憶しています)」というところを指さされました。当時の支那では、外国人と支那人は同じホテルに泊まれなかったのです。さて、東宝飯店に行きました。 あっ、その前にバスに乗った事件もあった。つづく。

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このページは、宝徳 健が2011年11月14日 16:07に書いたブログ記事です。

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