支那紀行 その26

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 西安では、次に大雁塔に行きました。
 西遊記でおなじみの、玄奘三蔵法師が16年の歳月をかけて天竺を往復し持ち帰った経典がおさめられています。当時の西安には大雁塔よりも高い建物はありませんでした。建築技術がないのです。
 
 支那は、これだけの素晴らしい歴史を持ちながら、また、四書五経など、その後の人類の生き方の教科書になる文明を築きながら、なぜ、今、あのように滑稽な国家と民族になってしまったのでしょうか。

 それは、人をそれも同民族を殺しすぎたからです。人の命をなんとも思わない民族だからです。常に歴史を破壊つくしてきたからです。破壊し、それを易姓革命などという言葉でごまかしたからです。他国を裏切り続けたからです。他国を侵略しすぎたからです。

 メディアはなぜ、こんな国を礼賛するのか私にはわかりません。

 でも、私は古代支那は大好きです。

 大雁塔の前に立つとジーンときました。

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このページは、宝徳 健が2011年12月 8日 15:06に書いたブログ記事です。

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