支那紀行 その35

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 万里の長城から北京市内に帰ってきました。その日は確か外の屋台で食べました。

 まだ盧溝橋にも、天壇公園にも、紫禁城にも行きたいのですが、なんとビザがあと2日で切れてしまいます。
「宝徳、ビザが切れるでー」
「ほな、わしら、不法入国者になるんかい」
「あほ、明日、イミグレーションオフィスに行くで~」

 2週間のビザを取得していたので、この日で12日目だったのですね。

 私は海外旅行は初めてですし、もちろん、イミグレーションオフィスなんて行ったことはありません。

 次の日イミグレーションオフィスに行きました。YTJが流暢な英語で、役人と話して、ビザは延長されました。途中、支那の役人が私たち日本人に戦争責任の話をふっかけてきました。YTJは、日本の歴史はほとんど知らない、自虐的歴史観を持っていますので、相手の言うことにうなずいていました。私は、英語は彼のように流暢に話せませんが、当時は聞くことは出来ました。ある程度の会話も。

 ビザ延長の手続きをした後、役人に、「もう少し正しい歴史を勉強するように」と言いました。YTJは青くなりました。でも、支那の役人は、うなづきました。そうなんです。堂々と主張しなきゃ。

 さて、確か10日間の延長だったと思います。これでしばらく安心してあちこち廻れます。

 次の日は盧溝橋に行くことにしました。モスクワコミンテルンに策謀にひっかかり、日本が支那事変の泥沼に引き込まれていってしまった場所です。 つづく。

紫禁城です。
shikinjou1.jpg


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このページは、宝徳 健が2011年12月23日 00:25に書いたブログ記事です。

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