支那紀行 その37

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 盧溝橋で食事をとりました。
「宝徳、何食う?」
「なんでも、ええでぇ」
「ほな、酢豚にしょうか~。やっぱり酢豚やで~」

 そういえば支那に来てから酢豚を食べていませんでした。というかないんです。チンジャオロースも、北京から上海に行く電車の中で初めてお目にかかりました。酢豚は、広東語では古老肉と書きます。北京では・・・・忘れた。とにかく、酢豚がメニューにありました。とてもうれしくなりました。盧溝橋飯店という店です。普通飯店というと旅館なんですが、何でここが飯店なのかは忘れました。

 出てきました。酢豚です! 酢豚の色をしています・・・。

 でも・・・・・・・・。 野菜が乗っていない。当時の支名では、野菜と卵と肉があまりというかほとんどありませんでした。まあいいやと気を取り直して、二人で食べ始めました。

 二人とも一口食べて・・・・・・・・・・・・・・。

 顔を見合わせます。

 二人はおもむろに、皿に盛られた残りの酢豚に、箸を刺し始めました。

 プスッ、プスッ・・・。すべて脂身で赤身がひとつも入っていない酢豚でした。

 さすがのYTJも「食わな、日中友好に・・・」という言葉を発しませんでした。

「宝徳、明日、天壇公園行かへんか」
「そうやな」

 二人は黙って、バスに乗って、ホテルに帰りました。この頃から日本の食べ物が恋しくてしかたがなくなりました。私はともかくYTJは、一人旅で世界中をまわっている人間です。それこそ、オーストラリアの砂漠もオートバイで一人で縦断していますし、アフリカも南米も一人で行っています。その彼が、支那での食べ物には閉口していたのです。

 次の日、天壇公園に行きましたがあまり覚えていません。明清の皇帝が祭祀を行ったところだそうです。

 そして、その次の日は、北京の街と紫禁城に行きました。つづく。

紫禁城の外の通路です。

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このページは、宝徳 健が2011年12月25日 00:35に書いたブログ記事です。

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