和歌

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 正岡子規の「歌よみに与ふる書」を現代語訳しています。この本面白いですね。中学生の国語の教科書に載せればいいのに。今日も「四たび歌よみに与ふる書」です。

 では、本日も、子規の辛口をお楽しみ下さい。
「厳格に言えば、これらは歌でもなく、歌よみでもない。

茅野山 霞の奥は 知らねども 見ゆる限りは 桜なりけり

 これは、八田知紀(はったとものり)の名歌とか言われている。知紀の歌集は、まだ読んだことはないけれど、これが名歌なら、大概底の見えたようなものである。これも前の歌と同じく「霞の奥は知らねども」と消極的に言っているが、理屈でしかない。既に見えているのに、「見ゆる限り」という上は「見えぬところはわからない」という意味となる。その裏に籠っているものを、わざわざ「知らねども」とことわるところなど、へたくそとしか言いようがない。加えて、この歌の姿「見ゆる限りは桜なりけり」など言っているのも、極めて拙く、野卑である。前の、千里の歌は、理屈っぽくでだめだったが、まだ、姿は遥かによかった」

 なるほどね。

 では、拙首です。

苦しさが 募るにつれて 自らの 都合ばかりが 頭に浮かぶ

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このページは、宝徳 健が2012年1月23日 06:26に書いたブログ記事です。

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