和歌

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 正岡子規の「歌よみに与ふる書」をシリーズで現代語訳しています。今日は、「四たび歌よみに与ふる歌」の最後のところです。
「全体が理屈めいた歌もある。これらはかえって、言い様によっては、多少の趣はあるが、この茅野山の歌のおうに、全体が客観的、即ち、景色になっているので、その中に主権的理屈の句が混じっていては、殺風景この上ないものになっている。茅野山の歌と同じ人の歌に

うつせみの 我世の限り 見るべきは 嵐の山の 桜なりけり

 というものがある。さてさて驚いてしまうのは、これも理屈の歌であることだ。嵐山の桜のうつくしいと言うのは、もちろん客観的の事であるが、それをこの歌は理屈にしてしまっている。この歌の句法は、全体的に理屈の趣向である。この趣向のごとく、客観的に言わないといけないとこのに、用いてしまった、俗物のなれるわざがある。「べき」とかけて「なりけり」と結んでいるのが、最も理屈的殺風景のところである。一生嵐山の桜を見ようという、変なくだらないものにしてしまっている。この歌は、まったくよいところがない。手当たり次第言ってしまっていはいるが」

 では、拙首です。

人はみな 思った通りに ならないが やった通りに ことが運ぶも


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このページは、宝徳 健が2012年1月28日 07:13に書いたブログ記事です。

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