家づと

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 JR東海の雑誌「ウェッジ」と「ひととき」が好きです。まだ4月号のウェッジは読んでいませんが、ひとときは、読み始めました。
 シリーズで掲載されている中西進先生の「旅ことばの旅」が大好きです。心がほっとして、時には、感激して涙が出てきます。日本語は美しい。4月号のテーマは「家づと」でした。へー。
 今、私たちが言う「みやげ」という品物は、古くは「家づと」と言ったそうです。万葉集にも、

伊勢の海の 沖つ白波 花にもが 包みて妹が 家づとにせむ

という歌があります。

 そもそも、「つと(苞)」とは、「つつむ(包む)」の元だそうです。「つつ(筒)」から来ているそうです、。筒の形に物をくるむことが包むであって、包んだものを「苞」と言いました。

 子供のころ、納豆を買いに行ったら、稲藁に包まれていましたよね。納豆は醗酵するので、稲藁の自然な呼吸が大事だったのでしょう。

 旅先の物産は、息絶えることなく、家へ持ち帰られてこそ、価値があります。だから藁で包まれなくても、大切にする必要があります。「つつむ」とは、物を蔽うことだけではなく、大切にする気持ちも包んでいくことなのでしょうね。 日本語のすごさですね。この言葉を創造した、私たちの祖先に敬意を表します。 
 長くなるので次回に続きます。

 拙首です。

うるわしき 大和の言葉に つつまれて 心の中に そよ風が吹く

 正岡子規の「歌よみに与ふる書」を現代語訳しています。今日から「あきまろに答ふ」です。

 「も」の字についての質問に答えます。「も」の字は、元来理窟的な言葉で、俳句などでは、「も」の字が有無をもって、月並み的俗句になるかどうかを判断することさえあるけれど、だからといって「も」の字がことごとく、理窟になることでもない。拙作に対する質問に答えるのは弁護がましく聞こえて、心苦しくなるが、議論は議論なので、巧拙の評価をすることが求められていると思う。
つづく

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このページは、宝徳 健が2012年3月31日 08:39に書いたブログ記事です。

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