家づと②

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 昨日の続きです。中西進先生が「ひととき」で書かれた素敵な素敵な記事です。
 「つつむ」という言葉は、物を蔽うだけでなく、気持ちを大切にする言葉も加えたものでした。それが「身をつつしむ」という「慎ましく」行動する日本人の美しさにつながります。

 お気づきになると思いますが、「身」というのは、「生きている体、その主体としての自分、自分のあり方」という意味があります。「体」は物理的な肉体を現します。だから、「体を慎む」とは日本語では言いません。身体という字も、精神と肉体を一体にするという日本人の思想が入った言葉です。「身を慎む」という表現は日本人にしかできない表現です。

 話を戻します。このような「つと」であってこそ、危険な旅先から無事に家へと戻りたい旅人の心と、持って帰る「物」がひとつになるもの、それが「家づと」でした。お土産とは、そんな願いがこめられているものです。

 ちなみに「みやげ」とは、「宮上げ」という意味です。尊い人に差し上げるということ。江戸時代、各地の大名が、よく名産品を幕府に献上しました。そんなところからでしょうか。

 「家づと」から「みやげ」へと言葉は変化しましたが、こんな素敵な意味を知っていれば、何かをいただいたときに、または土産を持って帰るときに、心が変わるのでしょうね。

 物と気持ちを包むもの、それがお土産なんだ~。とても、得をした気持ちです。

 拙首です。

包み込む 物へ気持ちを こめながら 愛する人を 心におもひ

 正岡子規の「歌よみに与ふる書」を現代語訳しています。「あきまろに答ふ」の続きです。

 「も」の字にも種類があって、「桜の影を踏む人もなし」「人も来ず春行く庭の」「屍をさむる人もなし」などの「も」は殆ど意味をもたない「も」だから、あまり理屈を含んでいない。また、「梅咲きぬ鮎ものぼりぬ」の「も」は梅と鮎を相並べていっているので、これも理屈ではない。実朝の「四方の獣すらだにも」にはやや理屈がある「も」であり、「老い行く鷹の羽ばたきもせず」「あら鷹も君が御鳥屋に」の二つは実朝の使い方に似ている。

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このページは、宝徳 健が2012年4月 1日 03:27に書いたブログ記事です。

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