水引

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 昨日の長野県飯田市の続きです。
 江戸時代、飯田藩では、特産の凍豆腐(しみどうふ)を将軍に献上する際、紅白の水引を使用していました。こうした習慣が生まれたのは遠く遣隋使の時代だそうです。隋からの贈り物には、航海の無事を祈り、紅白の麻紐がかけられていました。それが宮中への献上品に採用され、やがて武家にも広がりました。

 でも、明治を迎え、元結と水引の生産量は逆転します。明治政府は欧化を急ぎ、断髪令を発しました。ちょんまげを結っていた元結はお役御免です。飯田元結は大打撃を受けました。

 ところが、捨てる神あれば拾う神ありです。四民平等で庶民の生活意識が高まり、公家や武家の礼法を手本にしだしました。水引を掛けた贈答品が庶民に広まり、飯田市はピンチを脱します。

 よかった~。つづく。

 拙首です。

時移り 元結すたれた 一方で 庶民の間に 水引広まる

 今日は正岡子規はお休みです。

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このページは、宝徳 健が2012年4月 8日 07:09に書いたブログ記事です。

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