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今日は子供の日ですね。
今日は子供の日ですね。
昨年のこの日のブログに「粽(ちまき)」 のいわれを書きました。粽が大好きです。
民主党政権は、「子供は社会が育てる」と言って子供手当を支給しました。「子供は社会が育てる」と言ったフレーズは、どこかで聞いたことがありませんか?そう、自国民を何十万人も殺したあのカンボジアのクメールルージュの考え方です。
子供は家で育てるものです。今回の東北地方太平洋沖地震でも、いかに家族のありかたが大切だということがわかったと思います。
「子供は社会が育てる」「地球市民」などということばは、国家を破壊する暴挙です。そんな政党に、多くの国民は投票しました。万死に値します。
ITが発達し、世界は本の地位さな都市ぐらいの狭さになっています。だからこそ、しっかりとした国家観を持って子供を育ててないと、日本人は、世界のなかでその存在意義を失ってしまいます。
子供は国の宝と以前はよく言われていました。だからこそ、厳しくしつけました。一方で、「お国の役に立つ人間に育ちなさい」ともよく言われました。特に、資源も何もない日本は、人間しか資源がありません。今日、もう一度、それをかみしめます。
拙首です。
正岡子規の「歌よみに与ふる書」を現代語訳しています。「人々に答ふ」の続きです。
暮れぬめり 菫(すみれ)咲く野の 薄月夜(うすづくよ) 雲雀の声は 中空にして
この歌はへたくそである。「暮れぬめり」とあって「薄月夜」とあるのは、はなはだ撞着(言動が前後で矛盾している事)である。「中空にして」の止まりも信じられないぐらいへたくそである。あるいは「暮れぬめり」に返る意味があるのであるのかもしれないが、それにしても、まったくへたくそである。
民主党政権は、「子供は社会が育てる」と言って子供手当を支給しました。「子供は社会が育てる」と言ったフレーズは、どこかで聞いたことがありませんか?そう、自国民を何十万人も殺したあのカンボジアのクメールルージュの考え方です。
社会主義左派政権や共産主義はこのような考え方をします。文化大革命のときも、娘が父親を訴え、英雄のように街宣車に乗せられパレードをしました。家族といった事をまったく否定します。古典「大学」を作った国民でありながら。もしかしたら、もう、漢民族なんてあの国にはいないのかも。
子供は家で育てるものです。今回の東北地方太平洋沖地震でも、いかに家族のありかたが大切だということがわかったと思います。
「子供は社会が育てる」「地球市民」などということばは、国家を破壊する暴挙です。そんな政党に、多くの国民は投票しました。万死に値します。
ITが発達し、世界は本の地位さな都市ぐらいの狭さになっています。だからこそ、しっかりとした国家観を持って子供を育ててないと、日本人は、世界のなかでその存在意義を失ってしまいます。
子供は国の宝と以前はよく言われていました。だからこそ、厳しくしつけました。一方で、「お国の役に立つ人間に育ちなさい」ともよく言われました。特に、資源も何もない日本は、人間しか資源がありません。今日、もう一度、それをかみしめます。
拙首です。
子育てと 思いながらも 教えられる 親が子供に 育てられるを
正岡子規の「歌よみに与ふる書」を現代語訳しています。「人々に答ふ」の続きです。
暮れぬめり 菫(すみれ)咲く野の 薄月夜(うすづくよ) 雲雀の声は 中空にして
この歌はへたくそである。「暮れぬめり」とあって「薄月夜」とあるのは、はなはだ撞着(言動が前後で矛盾している事)である。「中空にして」の止まりも信じられないぐらいへたくそである。あるいは「暮れぬめり」に返る意味があるのであるのかもしれないが、それにしても、まったくへたくそである。
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