生きようよ(7月11日の日誌)

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 私は、福岡県遠賀郡(おんがぐん)の芦屋町立芦屋中学校を卒業しました。
 今は知りませんが、当時はとんでもない不良中学校でした。かつて筑豊炭田の石炭を「川ひらた」という石炭運搬船に乗せて遠賀川まで運び、そこで荷おろししていました。その一番河口にあるのが芦屋町です。若松のとなりです(この町も悪かった)。川筋者の気の荒さに加え、芦屋町にはボートレースがあったので、その利権を巡って、筋者が闊歩している町です。石を投げれば筋者か不良に当たります。まあ、北九州全体がそんな感じでした。博多方面に転校したとき「なんと平和な街なのか」と思いました。大学で東京に出てくるときも、「東京は人が多いからきっと変なやつが多いんだろうなあ」と思いましたが、とても平和でした。

 芦屋のようなあんな街、今まで経験したことがありません。毎日学校に行くのが恐怖でした。喧嘩、かつあげなんて日常茶飯事です。

 そんな中学校でも、今報道されている「いじめ」のように陰湿ではありませんでした。確かにいじめはありました。少しでも弱みを見せると必ずいじめられました。虫眼鏡で太陽の光を通して、いじめられっ子の制服を焼いたり、パシリは当たり前だったり、弱い者同士喧嘩をさせられたり・・・。だから、一度でも泣いたり弱音を吐いたら大変なことになります。

 でも、そんないじめっ子でも、いじめられっ子が他校のやつらからいじめられていたら、体を張って守ります。ようは人間社会の縮図だったのです。

 今のいじめは本当に陰湿ですね。人を殺す。昔は喧嘩で殴って殺すこともありませんでした(殴られる痛さを知っているのでとことんまでやらない)。今のいじめは陰湿です。 ネチネチと集団でいじめる(男だったらタイマンでやらんかい)、メールで精神的に追い詰める(獲物持たないで、素手で戦わんかい)。携帯電話なんてなくなればいい。

 あんなに怖くて喧嘩などが毎日のように起きていた私の中学校でも、自殺者は出ませんでした。死人も出ませんでした。

 悲しいですね。すごく悲しい。大切な大切な子供をこんな形で失うなんて、親としてたまったものではありません。

 あるお医者さんが、余命いくばくかの子供さんを治療しました。驚くほど落ち着いていたそうです。その子が亡くなるときに書いた文章が「今、命ある人はがんばって生きてください」だったそうです。

 いじめられても生きようよ。学校なんて行かなくていいじゃん。お父さん、お母さんと旅をして暮らしたらいい。 そんな嫌なやつらとメール交換するなよ。おじさんとメールしようよ。元気をあげるから。

 死んではだめだよ。そんなくだらないやつらのために死ぬなよ。生きようよ。

ただひとつ 親からもらった その命 天に召される 前に捨てるな

【7月11日の食事】

朝ごはん:健康診断があるので食べませんでした
昼ごはん:ステーキカレー
夜ごはん:和食

【ルーティン】
<自己の成長>
①私は毎朝、朝のおつとめをします(皇居遥拝、宗像大社遥拝、神棚拝礼)〇9/11
②私は毎朝、3つの唱和をします(般若心経、教育勅語、大祓詞)〇9/11

③私は毎朝、新しい暗唱を少しずつします(今は、大学と終戦の詔書を完璧に覚える)×4/10

<仕事の実現>

④私は毎日、新しいビジネスモデル構想を1つノートに書きだします(完成ではない)〇5/11
⑤私は毎日、未決管理表を詳細に読み込みます×8/11
⑥私は毎日、全クライアントのことを3分以上考えます〇11/11
⑦私は毎日、5年間の夢、1年間の夢を3分以上眺めます〇11/11
⑧私は毎日、10分以上次の事業づくりの勉強をします〇6/11  
(64/88 72.7%) 

<7月にやること>
 手紙 150通以上 28通  
 読書 10冊以上 3冊
 新規提案 20社以上  6個 
 新ビジネスモデルづくり10個以上 1個  
 士魂商才六月号
 
【毎週やること】
 次週計画・今週検証(毎週木曜日近辺にやります) 
7月8日:〇

【行動規範:八戒】
いつも最悪の事態を想定せよ
そして、今日一日の最良の行動をとれ
自分のことばかりしゃべるな
自分以外の人に強い興味を持て(ただし、必要以上に期待をかけるな、過去の出来事のこだわるな)
自分の馬鹿加減を常に思い出せ
人から受けた恩は忘れるな
人へ施した恩はすぐに忘れろ
小さな仕事こそ丁寧にやれ

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このページは、宝徳 健が2012年7月12日 07:28に書いたブログ記事です。

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