明治天皇崩御百年

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 子供のころ、全学連の運動が激しい時期がありました。東大の安田講堂に学生が立て籠もって警察が鎮圧に乗り出しました。
 両親と祖母から「親の金で学校に行っているのに、勉強もしなくてあんなことばかりして。大きくなってもああいう風になってはだめだよ。お国のために役立つ人間になるのよ」と言われました。

 東大はそのころ、その学生運動を支持した人が大幹部になっていました。学生運動などで、世の中はよくなりません。堂々と生きることをしない。戦後教育が、いかに空虚だったかを示す事実です。その頃騒いでいた連中が、今の民主との幹部になっています。メディアに騙されて、ただ勢いだけで、民主党に政権をゆだねた国民は万死に値します。

事しげき 世にたたぬまに 人は皆 まなびの道に 励めとぞ思う

 明治天皇の御製です。明治帝は常に国民への学問と国の在り方を説いていらっしゃいました。

 明治天皇は、何度も東京帝国大学に行幸されました。明治四十五年七月十日の卒業式は、明治天皇が出席された最後の公式行事です。わが社の創立記念日ですね。

 夏目漱石は、明治天皇崩御に際し

「過去四十五年間に発展せる最も光輝ある我が帝国の歴史と終始して忘rべからざる大行天皇崩御ぜらる。天皇御在位の頃学問を重んじ給ひ明治三十二年以降我が帝国大学の卒業式ごとに行幸の事あり。日露戦争役の折は時の文部大臣を召して軍国多事の際と雖も教育の事は怱(にわか)にすべからず其局に当たる者克く励精せよとの勅諚を賜はる。御重患後の折願其効なく遂に崩御の告示に会ふ。我等臣民の一部分として籍を学会に置くもの顧みて。
天皇の徳を懐ひ 天皇の恩を憶ひ謹んで哀衷を巻首に展ぶ」

と「法学会雑誌」に書きました。

 明治天皇の崩御は、明治四十五年(西暦1912年)七月三十日です。今年の七月三十日で崩御から百年です。偉大なるリーダーのおかげで日本は、植民地にならずにすみました。

 徳富蘇峰などは、明治天皇であったなら、大東亜戦争は起きなかったのではないかとまで言っています。

 今年は、古事記編纂千三百年。そして、明治天皇崩御百年です。日本の節目の年です。国民レベルで「正しい歴史」を学びましょう。

 征服者が王となる外国の帝国とは違います。日本は、「天子」が治める「帝の国」であることは間違いありません。それが二千六百七十二年 百二十五代続いた日本の国体です。東京帝国大学という名前だったら、東大の安田講堂紛争は起きなかったでしょう。それに、日本の国が嫌だったら、帝国大学に行くなよ。ただ、お勉強だけできて偏差値だけ高くて、就職のために大学に行く学生など、我が国に不要です。学問とはリーダー(本当の意味でのエリート)を養成するためにあります。

我が国を すくひたまひし 御帝の 御意志をつなふぐ 国柄創る

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このページは、宝徳 健が2012年7月21日 02:14に書いたブログ記事です。

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