新嘗祭

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 小雪二日目の十一月二十三日は「新嘗祭(にいなめさい にいなめまつり)です。戦後、「勤労感謝の日」などとくだらない名前に変えられてしまいました。日本の連続した歴史の否定のひとつです。だいたい新嘗祭という言葉も知らない日本人が多いことにはびっくりしてしまいます。国籍だけが日本人のなんと多いことか。

 まず、「神勅」という日本人にとって何事にも代えられない大切な言葉を紹介しましょう。
 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)はご存知ですか? えっ? 知らない・・・・・? 涙・涙・涙~。

 天照大神は、その男系の孫 瓊瓊杵尊を、この日本の統治者として高天原から派遣なさいました。その時に命令を出します。これが「神勅(しんちょく)」です。

「豊葦原(とよあしはら)の千五百秋(ちいほあき)は、是(こ)れ吾(あ)が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(ち)なり。宜しく爾皇統(いましすめみま)就(う)きて治(しら)せ。さきくませ。寳祚(あまつひつぎ)の隆(さか)へまさむこと、當(まさ)に天壤(あめつち)と窮(きはま)りなかるべし」

 戦前教育を受けた人間なら誰でも知っていることです。

 これは、天皇家の主権宣言であるとともに、日本が農業国家である、ということの宣言です。皇孫 瓊瓊杵尊は、農業国家としての日本の統治者(征服者ではない)として派遣されました。そして、神武天皇(さすがに知っていますよね?不安・・)も、大和を農業国家として建設した最初の天皇ということになります。

 神武天皇は大和を平定(征服ではない)するときに、兄弟数人が戦死するなどとても苦労されました。それを平定したので、神武天皇はまず武勇の天皇ということになります。でも、武は手段であって目的ではありません。目的は「農」による建国と民生の安定でした。神武天皇は、橿原神宮で即位され、その後三年間は、諸国に稲の種子などを配って、農業を普及させました。その効果があって、三年目に産物ができました。それを皇祖と天神に捧げました。

 大和を平定し、農業立国とすることが天照大神の神勅だったからです。武力平定では国は治められないため、農業の成功を待たなければなりませんでした。即位後四年になって初めて、天照大神の命令(神勅)が果たされたのです。

 聖書のように子羊を殺して捧げるのでもなく、支那のように熊の頭を捧げるのでもなく、敵から奪った戦利品を捧げるのでもなく、人身御供をやるわけでもありません。農産物を捧げる平和国家が日本の在り方なのです。天の神に感謝し、祖先の霊に報告する。こんな素晴らしい国が他にありますか?

 この神勅を知っていたら、減反政策などありえるわけがありません。お勉強ばかりして国家公務員上級職試験(今の甲種?)に合格してキャリアになっても、古事記を読んでいないから、政策を誤ります。

 その歴史がなんと二千六百七十二年経った今も続いているのです。キリスト教でいうと、キリストの子孫が生きているようなものです。「新嘗」とは、その年に収穫された新しい穀物を食することです。「豊葦原の瑞穂の国(とよあしはらのみずほのくに):日本のこと」の祭祀を司る最高責任者である天皇陛下が、その年に取れた新穀を天地地祗に備えて、農産物の収穫に感謝するとともに、自らも初めて召し上がられる祭りです。

 祭りとは「月」は「肉や収穫物」を表します。「又」は右手の象形文字です。「示」は神のこと。つまり、とれた収穫物を右手で持って神に祀るという意味です。

 十一月二十三日は天皇陛下が国民と一体となって天地自然の神々に感謝し、収穫を喜び合う全国民的祭典だったのです。

 それが戦後・・・・・・・・・。 私たちは、アングロサクソンに騙されて、世界一素敵な国家を葬り去ってしまいました。神勅を覚えましょう。

もういちど 学ぼう我ら 皇(すめみま)の 二千六百 七十二年

 今、十一月二十三日は「勤労感謝の日」という「祝日」です。祭日ではありません。日本に今、祭日はありません。祭日とすると、すべての祭日が日本の歴史につながってしまい、日本人がまたあのすばらしい日本人に復活するので、日本を破壊したかったアメリカが祭日を消してしまいました。ばかばかしい。早く元の日本人に戻りましょう。

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このページは、宝徳 健が2012年11月22日 21:39に書いたブログ記事です。

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