もう18年なんですね

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 平成七年一月十七日午前五時四十六分。阪神・淡路大震災が起こりました。

 もう十八年も経つのですね。
 私は当時、出光本社に勤務していましたので、東京在住でした。直接体験していませんので、当時被災された方のすさまじく悲しい体験を知ることはできません。

 私は出光本社時代には、7時に出社していましたので、6時過ぎには家を出ていました。朝、出て来るときにニュースで、「関西地方で大規模な地震が発生」と流れていました。関西で大地震というのはあまり聞いたことがなかったので、「ふ~ん」という感じでした。

 出社して、午前中に流れてくる情報を聞くたびに「えっ?!」と思いました。死者1000人を超す模様、使者3000人を超す模様など、胆が潰れそうになるような情報が次々と流れてきます。

 当時は携帯電話はほとんど普及していません。もちろん普通の電話は通じません。出光は当時からTV会議で本支店間がつながっていましたので、TV会議を神戸支店と開きっぱなしにして情報交換をしました。対策本部も立ち上げられました。緊急時の出光は強い。これはDNAなのでしょうね。

 神戸支店の下にガソリンスタンドがありました。支店長はTさんです。私が出光で本当に尊敬できた先輩は2人しかいません。そのおひとりです。

 「すぐに下のスタンドの営業を開始しろ!」とT支店長から指令が支店社員に飛びました。「配管(ガソリンや軽油が地下タンクから計量機へ通る管)などの点検が終わっていないので危険です」とベテラン社員や課長たちが言いました。「いいから開けろ!!!」

 これがリーダーシップです。Tさんにはプリンシプルがありました。

 ところが、ガソリンスタンドまで油を運ぶタンクローリーが交通規制で神戸に入ることが出来ません。TV会議でTさんが本社の業務部に言いました。「お前ら、何をやっているんだ! 警察でもなんでも動かして運べ!そこにいる本社の人間共はお飾りか!!!」。社長も副社長もいるなかでです。もう、このとき、私はTさんに惚れてしまいました。

 市内でたった一つしか開いていないガソリンスタンドです。お客様が殺到しました。同業者がねたんで警察に通報しました。警察が出光神戸支店に電話をかけてきました。「この状況を利用して出光さんが一人で儲けていると苦情が入っています」と。実際、価格を高く売ったりはしていません(そんなことは出光はやらない)。Tさんは言いました。「そうですか。では、今後、警察の車には一滴も給油しないように今から指示を出します」。警察は大慌てです。前言撤回。

 私は本社留守番組になり、現地救援に行けませんでした。残念でなりませんでした。

 さて、知人に連絡を取りまくりましたが、誰ともつながりません。ひとりだけ、なんていったっけ、車の携帯電話・・・。あれを入れていたTJと連絡が取れました。 ホッとして涙があふれてきました。

 江戸後期、明治時代に日本に来たたくさんの欧州人が「日本人は常に自然災害と戦っている」と書いています。これからもこの戦いが続くのでしょう。日本はテロなどはありませんが、常に自然災害と国民とが戦ってきた歴史があります。

 悲しいことはできるなら経験したくありません。でも、受け止めて日本人はこれからも強くなっていくのでしょうね。阪神・淡路大震災でお亡くなりになられた方へ心から哀悼の意を表します。

悲しみを 天があたへし 苦しみを 天があたへし 大和の民へ

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このページは、宝徳 健が2013年1月17日 05:51に書いたブログ記事です。

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