俱会一処

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 俱会一処(くえいっしょ)と呼びます。

 阿弥陀経に「舎利子よ、生ける者どもは、かの佛國土に(生まれたい)願いをおこすべきである。それは何かというと、かの世界で、実にこのような善き人たちと倶(とも)に会うことになるからである」と浄土へ生まれる願いを発すことをすすめています。それは善き人と倶にそこで出会うことができるからです。
 三木武夫、中曽根康弘、河野洋平、宮沢喜一(村山や鳩山は論外)の外交戦略の失敗から日本は、我が國に命を捧げてくれた人たちを参ることもできない國になってしまいました。

 戦犯などは我が國に存在しません(これはまた後日。すべての國が事実として認めています)。そして、世界でただ一つ、宗教を越えて人を祀ることができるのが靖国神社をはじめとした我が國の神社です。

 なぜなら、神道は宗教ではありません。教義経典もありません。一万歩譲って神道が宗教だとしたら、国際常識で、他國の宗教には口を出してはならないという不文律があります。支名や朝鮮がガタガタ言ったら「宗教問題に口を出すな」と言えばそれまでです。

 「靖國で会おう」。こう言って、大東亜戦争の英霊たちは愛する國と愛する人のために自らの命を・・・。例えば、アメリカ軍に仲の良いキリスト教徒とイスラム教徒とがいて出撃するときに「〇〇で会おう」と言える場所があるでしょうか?まさか「アーリントン墓地で会おう」とは言わないですよね(笑)?

 そういう素晴らしい場所が日本にあるのに、天皇陛下や総理大臣が行かれない(行けない)。

 私たちは我が國をこんな國にしてしまいました。
 
 「俱会一処」。英霊たちはこんな情けない私たちのために命を捧げました。でも、きっと靖國で笑って許してくれているでしょう。「早く目覚めろよ」と言って。

 四月二十一日~二十三日は靖國神社 春の礼大祭です。

 白無垢人形を観に行きませんか? 英霊たちの和歌を観に行きませんか? 樺太の逓信省の女性たちの涙なしには語れない最期を観に行きませんか? 涙なしには絶対に観ることができません。ハンカチが三枚ぐらい必要です。

 私は久しぶりに行きます。英霊たちが集う、桜咲く美しい春の靖國へ。

俱会一処 英霊たちが 集いながら 今の我らを 常に見守る

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このページは、宝徳 健が2013年2月16日 04:29に書いたブログ記事です。

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