吉野の盟約

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 今日は、上巳の節句(じょうしのせっく)ですね。この「節」を昔の日本人はとても大切にしてきました。史記豊かな我が國は、節目節目の行動を見直し、自らを律してきました。季節と共に。

 さて、吉野の秘密に、今日も迫りましょう。
 吉野宮の発掘調査は1930年に始まり最近まで六十回を超えました。遺跡は縄文時代から中世にわたる長い期間の複合遺跡でしたが、飛鳥時代から奈良時代の重要な建物跡がみつかりました。斉明天皇、持統天皇、聖武天皇それぞれの遺構が発見され、時代が下るとともに拡張していく様子がわかりました。飛鳥時代の遺構からは庭園も見つかりました。

 これらの遺構の時期はすべて「日本書紀」や「続日本紀」などの古文献の記載と合致し、宮滝遺跡こそ吉野宮であることが判明しました。

 宮滝遺跡は、吉野川の河畔北側にあります。奈良を東西に横断する吉野川は鮎で有名ですが、西に行けば紀ノ川とつながり、和歌山港へと抜け、四国・瀬戸内海方面にもつながる水上の道でもありました。南北に走る山の道と東西の皮の道とが交差する十字路で、古くから情報や物資が流通する中継地点でした。

見れど飽かぬ 吉野の川の 常滑の 絶ゆることなく またかへり見む

 柿本人麻呂の歌です。

 万葉集に詠われた宮滝遺跡周辺は古代の風景さながらの素朴さを遺します。 素敵ですね。つづく。

続きながら 遺しながらも これからも 伝へつづける 縦糸の跡

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このページは、宝徳 健が2013年3月 3日 06:02に書いたブログ記事です。

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