再 支那紀行

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 2011年12月30日掲載分です。
  北京―上海20時間列車の旅が始まりました。

 20時間電車に乗るというのは、子供の頃で、まだ新幹線がない頃に、親父の勤務先から福岡に帰るとき以来です。今は、ありませんが、特急あさかぜだった かな。私は小さい頃、とてもからだが弱く(ほんとですよ!)、乗り物にはすぐに酔っていました。だから、つらかった。遠足も修学旅行(小学校時代)も大嫌 いでした。中学生になって、ちょっぴり悪くなって、スポーツも始めてから、とても強くなりました。偏食がなくなったのは、高校生の頃からです。

 さて、何も知らずに乗り込みました。支那の列車に乗るときに、これは大変なことになります。

  女性の車掌さんが来ました。きれいではありませんが、とてもかわいい女性でした(当時の支那の女性でお化粧をしているのは、売店の女性か駅の女性ぐらいで す)。お湯が入ったやかんを持っています。何か、こちらをチラチラ見ながら、変な顔をします。しばらくして支那語で何か言うので、「ウォー ジャオ リー ベンレン(だったかな。私たちは日本人です)」と答えました。 当時の支那は指導者が親日であったため、人民も親日で、日本語を習っている人もたくさんい ました。今の支那ではこういう旅行はできないでしょうね。江沢民の責任です。

 その車掌さんも日本語を勉強していました。「列車に乗るときは、湯のみ茶碗を持たなければ20時間何も飲むものがないよ。もしかしたら、食券も持っていないの? 駅で停車時に買うこともできるけど、ろくなものはないよ。20時間食事がとれないよ」と言います。

 「すみません。ぜんぜん知りませんでした。どうしたらいいですか?」と聞くと。「私が準備してあげよう。そのかわり、日本のことを聞かせてほしい」と言います。もちろんOKです。

 湯のみ茶碗と食券を準備してくれました。どんなお弁当が出たかは後で。

 湯のみ茶碗には、お茶葉がふんだんに入っています。ジャスミンティーです。華茶(フワチャ)と言ったと思います。そこに、熱いお湯を入れます。当然、お茶葉は上に浮きます。それを、箸か指で下に落としながら、少しずつ飲みます。おいしかった。

 車掌さんはたくさん質問をしてきます。会話も楽しかった。当時の支那人は純朴でした。

列車の中で。これが硬室です。支那人が乗る二等車です。これ本当に私です。28年間でここまで変わるのかって? ほっとけ。 
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このページは、宝徳 健が2013年3月23日 06:37に書いたブログ記事です。

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