真実の日清戦争

| コメント(0) | トラックバック(0)
 このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納しています。

 「戦争」という言葉を聞くと眉を顰め、目を覆い、毛嫌いする人がいます。私だって平和が良い。「平和、平和」と言葉で唱えるだけで、平和が来るんだったら、何百万回でも唱えます。世界はそんなに甘くない。天皇陛下の下、世界で最も平和を愛する我が國が、どうして戦争を「しなければならなかったか」という事実から目を背けていたら、正しい歴史など学べるはずもありません。

 日清戦争という事実を通して、多方面から歴史を一緒に検証しましょう。
 そもそも、なぜ日清戦争が起きたかを知らない方も多いのでは???

 開国したばかりの我が國にとって、強大な支那は、今では考えられないぐらいの脅威でした。「國が潰れるかもしれない」という思いを國全体、國民全員が持っていました。

 そこへ、清国北洋艦隊が親善訪問の目的で横浜港に入港しました。最新鋭艦の定遠(ていえん)、鎮遠(ちんえん)などの十七隻の巨大艦隊です。本当の目的は示威行動です。東郷平八郎はこのとき、許可を得て定遠に乗り込んでいます。大砲に洗濯物が干されている支那艦隊を見て勝てると思ったそうです。

 それでも、今でいうと核兵器以上の脅威だったと思います。

 なぜ日清は対立したか。朝鮮半島です。この半島はどの時代でも日本に迷惑を掛けます。迷惑を掛けますがここを支那やロシアに取られてしまうと、日本は国防が出来なくなってしまいます。今もそうですね。日本が嫌いな南朝鮮は、しきりに支那と組もうとします。経済的には南朝鮮と取引しなくても日本は何にも困りません(南朝鮮は経済が成り立たなくなるが)。しかし国防でいうとそうではありません。絶対に日米同盟に組み込む必要があります。

 そんな朝鮮半島で、開化派(独立党)が守旧派(事大党)から政権を奪取する意図で起こしたクーデターが発生します。甲申(こうしん)の変と言います。

 今日は、朝鮮半島の「独立党」「事大党」「甲申の変」だけを覚えてください。

 これがどうなったか。つづく。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/4505

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2013年3月24日 06:59に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「攻城の法 2(三月二十三日の日誌)」です。

次のブログ記事は「お詫び」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。