再 未来日本昔話

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 2009年12月19日掲載分です。
 おばあちゃんとまさる君の会話が続きます。今日から、「永住外国人への地方参政権付与問題」です。

「おばあちゃん、日本がつぶれた原因のひとつに『永住外国人への地方参政権付与問題(以下、参政権問題)』があると思うのだけど」
「おやおや、まさるは、本当によく勉強をしているね。この問題はとても大切だし、いろいろな観点があるから、何日かに分けて話をしようね」
「そもそも、なんでこんな問題が起きたの?」
「参政権問題ってね、日本国内に永住する外国人に対し、地方議会議員選挙や首長選挙に関する選挙権を付与するっていうことなの。平成七年二月に最高裁判決が 『傍論』として『法律で地方選挙を付保するのは憲法上禁止されていない』という解釈をしたことで政治的な要求として議論されることになったの。でもね、そ の『傍論』を書いた園部逸夫という裁判官は、ちょっとうがった歴史観の持ち主だったの。こういうことを言っていたんだよ。

『在日朝鮮人の人たちは、戦時中強制連行され、帰りたくても祖国に帰れない人が大勢いる』

って。朝鮮生まれの自分の体験から身につまされるものがあって、それが傍論に反映されたと、当時最も罪深かった朝日新聞で告白したの。

  いくつかポイントがあるから、覚えておいてね。傍論は裁判官の私見を述べたものにすぎず、判例としては何も意味がないということ。そして、昭和二十年の終戦時、日本で就労していた朝鮮人は約二百万人いたのね。でも、徴用などで日本に連れてこられたのは約三十万人、そのほとんどが戦後すぐにGHQの指示も あって日本政府の費用で朝鮮半島に帰還しているのね。百七十万人のほとんどは、自国が貧しいから自ら日本に来た人であり、戦後、祖国に帰りなさいといって も、貧しい祖国には帰りたくないと言った人たちなの。」
「そうなんだ。じゃあ、この問題も慰安婦問題と一緒で、日本人が誤った歴史認識をしているから起きたことなんだね。それも、最高裁判所の裁判官をやるぐらいの人がこうなんだね」

「そ うだよ。知識ばかり学んでもしかたがない。日本を潰した民主党の幹部の人たちや連立を組んだ党の幹部の人たちも、学歴はりっぱなんだけど・・・。戦後、日本は、教育をアメリカ型に変えてしまって、国民も偏差値至上主義で、人間性は無視して、知識を持っていればエリートだという変な考え方に陥ってしまった の。民主党の岡田や、社民党の福島など、まさにそうなのね」
「おなじく戦争に負けた、ドイツはどうなの?」

「ドイツは、アメリカに教育改正と求められたとき、『たかだか二百年のアメリカに教育のことをうんぬん言われたくない』と拒否したの。教育がいかに大切かがわかっていたんだね」
「日本は弱腰だったの?」
「それもあるよ。でもね・・・。悲しいかな日本は有色人種なの。当時の人種差別は考えられないくらいひどかったの」
「そうか~。この戦争自体が人種差別から起きたものだものね」
「あら、まさる、そこまで理解するようになったなったの? 素晴らしいわ。」
「ねえ、おばあちゃん。明日も、この参政権問題を話し合おうよ」
「いいわよ。愚かな行為が国家にとっていかに危ないかを話し合いましょうね。」
「うん」

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このページは、宝徳 健が2013年4月 9日 06:26に書いたブログ記事です。

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