旅の思い出

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 私たち家族が父の仕事の都合で静岡県駿東郡裾野町に住んでいた頃(子供の頃)、まだ新幹線はありませんでした。特急電車や寝台列車に乗って20時間ぐらいかけて福岡に帰ったことを覚えいています。

 長い長い時間ですが、子供心には、家族とその時間一緒にいられることがとても楽しく思えました。
 普段は、鬼のように怖かった父も、こういう時は優しい。といっても、普段、仕事で家にいない父でしたから、話すことはあまりありませんでした。でも、旅の時は、いろいろな話をしてくれました。電車で通り過ぎる街の説明や次の駅にあてっこなどをしました。

 そして、時分時になると駅弁を買います。窓から「おじさ~ん」と言うと、お弁当を首からぶら下げた箱にいっぱい入れたおじさんが走ってやってきます。お弁当とお茶を買います。今は、缶のお茶でしたが、ブラスチックの容器に入ったお茶でした。その前は、陶器に入ったお茶でした。お弁当の蓋をあけ蓋についた米粒をまず食べます。今、これをやると、変な顔をする人がいますが、私たちの子供の頃はまだ日本が貧しい時代です。そして、何より我が国の心である「米」です。「一粒の米には七人の神様が宿っている」と教えられてきましたから、一粒の米でもおろそかにすることは考えられません(今でもそうです)。

 食事時間以外の買い物は、冷凍ミカンとアイスクリームでした。冷凍ミカンは冷たかったな~。アイスクリームは紙のカップに入ったものです。蓋を取って、まず蓋についたアイスクリームをすくって食べました。

 この思い出があるので、息子が小さい時、時々、鈍行列車の旅を二人でしました。時刻表の読み方を教えました。家を出るときに一万円を渡して「今日は、〇〇がすべてやるんだ。お父さんをここへ連れていってね。切符も〇〇が買うんだ。食事代も〇〇がこの中から出すんだ。お母さんへのお土産もこの中から出してね。もし、お金が足りなくなったら、二人で歩いて帰って来よう。余ったらお小遣いにしていいからね」

 たくさん思いではありますが、中でも、姫新線にゆられて赤とんぼの里 龍野に行ったことと、蕎麦を食べに福井県今庄まで行ったことは、抜群に楽しい思い出として二人の心の中に残っています。

 私は彼に「勉強をしろ」と言ったことはありません。進学する学校の決定に口を出したこともありません。「男なら一人旅ができるようになる」「手紙を書ける人になる」「日課を持つ」「人より先に挨拶をする」など、基本的なことを伝えてきました。

 旅は楽しい。自分で設計した旅は特に楽しい。歴史を知ると旅に出たくなる。

 おっと、こんなことを考え始めたと言うことは、ちょっとお疲れかな(笑)。まだまだ人生を楽しむのは先のことになりそうです。

人が生き 人が遺した その場所を てくてく歩いて 歴史に浸る

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このページは、宝徳 健が2013年4月14日 13:34に書いたブログ記事です。

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