真実の日清戦争

| コメント(0) | トラックバック(0)
 このシリーズは右のカテゴリー「日本の正しい歴史」に格納しています。

 清は、特にロシアの力を借りた三国干渉を画策しました。

 支那には「夷を以て夷を制す」という言葉があります。
 つまり、敵の力を借りて敵を倒すということです。でも、これが見事に失敗しました。

 支那は当初「眠れる獅子」として恐れられていました。でも、日清清掃を通じ、実は獅子ではなく「ブタ」であっったことが暴露されました。欧米列強はこのブタをどのように料理しようかと考えました。

 まずはロシアです。ロシアはブタを急いで料理しようとすると、他の列強が割り込んできて分け前が少なくなると考えました。そこでまず、1896年6月「日本は必ず遼東半島の奪還に乗り出す」との理由で清と攻守同盟を結びました。露清密約です。

 そして対日攻守のためロシアによる東清鉄道の敷設が決定しました。三国干渉の見返りです。この鉄道はシベリア鉄道と連結し満州を斜めに横断してウラジオストックに至るものです。東清鉄道の所有地にはロシアの排他的行政権が認められていました。ロシアの東アジア征服戦略の一環です。

 この時点まで清の人間はまさかロシアが遼東半島を奪うなど考えていませんでした。それが実現してしまいました。画策した三国干渉の失敗です。

 次にドイツです。 つづく。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/4563

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2013年4月16日 03:59に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「再 未来日本昔話」です。

次のブログ記事は「新聞のない朝(四月十五日の日誌)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。