やはりそうか

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 このブログソフトは、弱いですね。もう長年続けているのでやめられませんが、検索ができない人が出てきたり、今は、カテゴリー機能が使えなくなってしまいました。

 高いお金を出したのに・・・。でも、どこに問い合わせていいかわかりません。この前メールを送ったら返ってきませんでした。モジラもたいしたことないか。

 さて、「言語の脳科学」「脳を創る読書」の著者でいらっしゃいます酒井邦嘉先生が致知の五月号に出ていらっしゃいました。なるほどね。やっぱりそうだ。
 要点を整理しておきます。

★音声は文字より、映像は音声よりそれぞれ情報量が豊富である。視点を変えると、文字のように情報量が少なければ、当然足りない部分を相続力で補う必要が生じてくる。想像力で補われる情報量を比較すると、多い方から文字・音声・映像の順番である。想像力とは「自分の言葉で考える」ことである。脳の中でこの想像力を司るのは言語野であり、わからないところが多いほど、脳は音韻・単語・文法・独海の四つの領域を総動員して「これはどういう意味だろう」と考え始める。活字を読むことは、単に視覚的に脳にそれを入力するだけでなく、能動的に足りない情報を想像力で補い、あいまいな部分を解決しながら「自分の言葉」に置き換えるプロセスである。つまり入力情報が少ないほど脳は想像力を働かせる。

★では、出力情報はどうか。情報量が多いほど物事を想像して補う。少ない情報で用件を済ませてしまう電子メールに比べて、人と直接会って会話をする場合は、様々な言葉を駆使し自分の意思が相手に伝わっているかを想像力を働かせながら確認しなければならない。

★つまり、脳を創るためには「適度に少ない情報の入力」「豊富な情報の出力」の両方が大切である。要は十分な読書と会話を楽しむこと。

★紙の本で読書をする場合、脳は単に書かれている内容だけを読みとっているわけではない。ほんの厚み、質感、装丁、本文のレイアウト、書体、初版か否かとうとう、本の内容とは直接関係のない様々な情報を無意識のうちに記憶している。記憶をたどりながらパラパラと頁をめくると、すぶに必要な記述に辿りつけるのはその一例である。

★電子書籍ではこれらの感覚が得られない。全体のどのあたりを読んでいるかもわからない。

★脳は繰り返しによって鍛えられる。付箋をつけたりして何度もその本を読むと新たな発見がある。これは、電子書籍にはできない。また脳は複雑を好む。だから、厚みや質感など、文章以外の複雑さを脳は好んでいる。これを理解すると学ぶことがとても楽しくなる。

 やっぱり、アナログ力を鍛えないITは、人間をおバカさんにするのですね。電子書籍は不要です。人間社会破壊ツールです。

便利さを 発達として 過って とらえる愚かさ ほろぶ人類

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このページは、宝徳 健が2013年4月25日 05:10に書いたブログ記事です。

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