端午の節句

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 今日は端午の節句ですね。

 節句には五つあります。

人巳(じんじつ)の節句:一月七日 七草粥を食べます
上巳(じょうし)の節句:三月三日 ひな祭りです
端午(たんご)の節句:五月五日
七夕の節句:七月七日
重陽(ちょうよう)の節句:九月九日

 私が子どもの頃、祝日や節句を祝う気持ちがまだ残っていました。祝日には各家に日章旗が掲げられました。失ってしまいましたね~。
 柏餅を食べ、粽を食べ、背比べをして柱に印をつける。昨年と比べて成長したことを確認する。情緒がありましたね~。私は粽の方が好きです。

 粽は古代 支那にゆらいがあります。古代支那戦国時代の頃、楚国という国がありました。そこに屈原(くつげん)という人がいました。

 屈原はてもあまたの良い人でした。ある日、楚国王(そこくおう)の乱行ぶりを還元しました。王は怒りました。屈原は江南の地へ流刑されてしまいます。そして屈原は王を慕いながら、ベキラ川へ身を投げてしまったのです。

 里の人々は屈原を哀れんで、毎年、屈原の命日である五月五日に、竹づつに米を入れたものを水に流し、屈原 の霊を弔います。ところが漢の時代に、里の者が川のほとりで屈原の幽霊に出会います。幽霊曰く、里の者が毎年供物を捧げてくれるのは有り難いが、残念なことに、私の手許に届く前に蛟龍(こうりゅう)という悪龍に盗まれてしまう。だから、今度からは蛟龍が苦手にしている楝樹(れんじゅ)の葉で米を包み、五色の糸で縛ってほしい。と言ったのである。里の者は、あいわかった、と承知して、以来、楝樹(れんじゅ)の葉で米を包み五色の糸で縛って川へ流したので、無 事に屈原の元へ供物が届いたのでした。

 こういう話はいいですね。子供たちに教えましょう。

はるか昔 起こりしことを 語り継ぎ 永久(とわ)に伝へん 人の行ひ




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このページは、宝徳 健が2013年5月 5日 05:27に書いたブログ記事です。

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