源氏物語を読むコツ

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 一気にあらすじを紹介しましょう。
 源氏大学というサイトを参考にしています。

http://www.genjidaigaku.jp/

 源氏物語は、全五十四帖あり、それが三部にわかれます。

【第一部】
 「桐壺(きりつぼ)」~「藤裏葉(ふじのうらば)」(三十三帖)
  光源氏の栄華への軌跡の物語

【第二部】
 「若菜(わかな)上」~「幻(まぼろし)」(八帖)
 光源氏の晩年の憂愁の物語

【第三部】
 「 匂宮(におうのみや)」~「夢浮橋(ゆめのうきはし)」(十三帖)
  光源氏次世代の、薫(かおる)や 匂宮(におうのみや)の物語

特に最後の十帖(「橋姫(はしひめ)」~「夢浮橋」)を「宇治十帖」と言います。

<第一部>

 桐壺は、桐壺帝に身分不相応に寵愛され、第二皇子まで産んだため、右大臣の娘で第一皇子の母である弘徽殿の女御(こきでんのにょうご)らに妬まれて病死してしまいますた。桐壺帝は、この美しく愛らしい、後見のない第二皇子の将来を心配し、 「源」の姓を与えて臣下としました。これが 「光源氏」です。光源氏は、左大臣の娘葵(あおい)の上と結婚しますが葵とはなじめません。


 亡き母である桐壺によく似た藤壺を愛します。藤壺も桐壺帝に寵愛されている女性です。ふたりは、なんと出来てしまい男の子が産まれます。この密通の事実は隠され、不義の子は桐壺帝の第十皇子となり、のちに帝位につきます。こうして光源氏は、帝の実父となってしまいます。


 光源氏は藤壺への実りきれない愛を埋め合わせるかのように、その姪にあたる紫の上をはじめ、空蝉(うつせみ)・夕顔(ゆうがお)・末摘花 (すえつむはな)・六条(ろくじょう)の御息所(みやすどころ)・朧 月夜(おぼろづきよ)・花散里(はなちるさと)などの女たちと、恋を重ねます。

 これらの恋は、時には光源氏の運命を大きく左右しました。とりわけ、弘徽殿 の女御腹の第一皇子が即位して朱雀(すざく)帝となった時代には、光源氏は 須磨・明石に身を潜める不遇な一時期を過ごします。やがて都に帰った光源氏 は、不義の子が冷泉(れいぜい)帝として即位したため、権勢を一身に集めます。光源氏は、関係のあった女たちを「六条院(ろくじょういん)」と呼ばれる壮大な邸に集めて暮ら します。明石の地で得た娘、明石の姫君は東宮(とうぐう)に入内(じゅだい)し、 光源氏は天皇を退位した人に匹敵する処遇である「准太上(じゅんだいじょ う)天皇」の位を受け、栄華をきわめました。

<第二部>

 出家を願う朱雀院は、愛娘女三の宮(おんなさんのみや)の将来を懸念し、光源氏に託そうとします。光源氏は、女三の宮が紫の上と同じく藤壺の宮の姪であることに心動かされ、結婚を承諾するのですが、予想外に女三の宮は未熟だっ たのでした。光源氏はかえって紫の上への愛情を深めますが、高貴な正妻の出現に、紫の上は孤独な日々を送ることになります。一方、女三の宮の求婚者の 一人だった柏木(かしわぎ)は、宮を諦めきれず、とうとう密通してしまいま す。女三の宮の不義の子の薫(かおる)を、実子として抱くことになった光源氏 は、若き日の自分の罪を思うのでした。紫の上は、出家を願いながらも光源氏 に許可されないまま亡くなり、光源氏はその死を悼みながら出家の準備をする のでした。  

<第三部>

 女三の宮と柏木との不義の子の薫は、現世の栄華に心馴染めず仏道に傾倒して います。 薫は、世捨て人八の宮(はちのみや)を仏道の友と仰いで宇治に通ううちに、その娘大君(おおいきみ)に惹かれ始めます。八の宮の死後、薫は大君に求婚しますが、大君は妹中の君との結婚を薫に勧め、自分の薫への思慕を心 の奥に封じようとするのでした。薫は中の君を匂宮(におうのみや)に結びつ け、大君の決意を促しますが、大君は薫の求愛を拒んだまま亡くなってしまい ます。


 中の君は、大君の死後、懸想をしかけてくる薫がわずらわしく、大君によく 似た異母妹浮舟(うきふね)を紹介します。やがて薫・匂宮の両方と関係を持っ た浮舟は、板挟みになって入水(じゅすい)を決意するのでした。横川(よかわ) の僧都(そうず)に助けられた浮舟は、小野(おの)の里で尼になり、薫の迎えに も応じないまま、物語は幕を閉じることとなります。

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このページは、宝徳 健が2013年5月 5日 05:55に書いたブログ記事です。

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