太宰治の記事

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 朝、ブログを書いている時間が大好きです。書きながら、いろいろ考えます。私にとっては、こういう止まっている時間を持つことがとっても大切です。自分を見つめなおす、仲間やクライアントのことを考える、昨日のことを考える・・・。止まっていると気づきます。動きっぱなしだと気づかない。修行の時間です。

 さて、昨日の讀賣新聞の日曜版が素晴らしかったとひとつ前の記事で書きました。こんな素晴らしい記事は取っておきたい。紹介します。二回にわけます。太宰をもう一度読みたくなってきた。「右大臣実朝」「富嶽百景」「女生徒」「お伽草子」「人間失格」・・・でしたっけ? 高校時代に読んだなあ。
【明るい新婚時代、妻思う心】

 太宰治が没して5年後の1963年、山梨県御坂峠に建てられた文学碑の原本が今春、遺族から山梨県立文学館(甲府市)に寄贈された。
―富士には月見草がよく似合ふ
 主なき家に遺された太宰作「右大臣実朝」の生原稿から夫人が必要な字を切り取り、それが順番に、丹精込めて紙に貼ってあった。

 思いを新たにする覚悟で38年9月、太宰が峠の天下茶屋に赴いてからの日々を描く『富嶽百景』は、夫人にも思い出深い小説だった。
 女と事を起こし、非合法活動にも加担。薬物中毒でも苦しんだ太宰が、師の井伏鱒二の仲立ちで女子師範出の才媛、石原美知子と見合いしたのは茶屋に着いてから5日後である。太宰29歳。美知子26歳。人生の転機だった。

 作品の要所要所で富士が顔を出す。見合いの席で「おや、富士」と井伏が呟き、長押(なげし)を見る場面では、富士山頂の噴火口の写真が出てくる。

 <私は、それを見とどけ、また、ゆっくりからだを捻じ戻すとき、娘さんを、ちらと見た。きめた。多少の困難があっても、このひとと結婚したいものだと思った。あの富士は、ありがたかった>

 小説の後半、主人公がバスの車窓から見た月見草の場面を原稿用紙に記したのは、見合いの4か月後に結婚したばかりの美知子夫人である。2部屋だけの小さな新居を借りた太宰は、待ちかねたように新妻に口述筆記させた。

 <三七七六米(メートル)の富士の山と、立派に相対峙し、みじんもゆるがず、なんと言うか、金剛力草とでも言いたいくらい、けなげにすくっと立っていたあの月見草は、よかった。富士には、月見草がよく似合う>

 苦悩だけは経て来た、その「藁一筋の自負」にすがる作者の姿を黄金色の花に託したいという解釈もある。が、太宰は、世話になった茶屋の人も思っただろう。何より、好きな湯豆腐を夜な夜な作り、生活を支えてくれる妻への感謝もあった。その深い思いが美知子に口述された。

 太宰は新婚前後を「幽かにでも休養のゆとりを感じた一時期」と回想している。明言は。太宰の明るい時代、妻との共同作業で生まれた。

文:鵜飼哲夫

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このページは、宝徳 健が2013年7月15日 03:27に書いたブログ記事です。

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