太宰治

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 読みました、読みました。何十年ぶりかに「太宰治」を。「斜陽」「人間失格」「ダス・ゲマイネ」「満願」「富嶽百景」「葉桜と魔笛」「駆け込み訴え」「走れメロス」「トカトントン」「ヴィヨンの妻」「桜桃」。

 いいですね~。芥川龍之介や太宰治は、読んでいるとはっきりとその情景が頭に浮かんできます。お二人の生きた時代を私は全く知りません。例えば斜陽に出て來る貴族など、私たちは観たことも聞いたこともありません。でも、きちんと頭の中に情景が描けるのです。これが一流の証なのでしょうね。

 七月十四日の読売新聞 日曜版に載っていた太宰治を紹介してきました。続けます。最終回です。
 田子の浦ゆ うち出でて見れば ま白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける

 万葉集の山部赤人の歌です。正岡子規がくだらない歌集だとこき下ろした新古今和歌集では、「雪はふりつつ」となっています。万葉集の歌の壮大さを殺してしまっています。

 それが最近ある本を本でいたら「田子の浦に うち出でて見れば ま白にぞ 富士の高嶺に 雪がふりつつ」となっていました。驚いて息が止まりそうになりました。解説を見ると「現代人にわかりやすいように」だとか書いていました。こういう愚かな行為を許してはいけません。歴史の否定になります。占領軍にだまされて大東亜戦争を太平洋戦争と言うようなものです。悲しい。

 話を戻します。万葉集を始め富士山は古来、多くの詩や物語に描かれてきました。富士の表記も「不二」「不死」もあります。竹取物語では、悲嘆した帝が天界に帰ったかぐや姫がのこした不死の薬と書状を天に最も近い山で焼くように命じ、多くの兵士がそれに従いました。

 「士(つわもの)」に「富む」が富士の語源という説もあります。古来、富士は神聖な信仰の対象で、江戸時代には多くの庶民が富士を詣でました。

 天下茶屋に滞在中の太宰治が知人と会う峠を下りきったところにある<おそろしく細長い町>とは、富士河口湖町の隣の富士吉田市です。富士講で、富士に昇る人や宿や食事を提供した「御師の家」が、かって道沿いに軒を連ねていました。

 太宰治はこの町でお酒を呑んだ後、夜の富士を見ます。<月光を受けて、青く透き通るようで、私は、狐に化かされているような気がした>

 その富士吉田には吉田うどんというおいしいうどんがあるそうな。行きたい・・・。

 世界中に富士より高い山はいくらでもあります。でも、あのような美しい山は富士山だけでしょう。

 行きたい。行きたい。行きたい。

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このページは、宝徳 健が2013年7月21日 09:27に書いたブログ記事です。

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