敗戦屈辱日

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 今日は敗戦屈辱日です。昨日、息子からこんなメールがきました。
北方領土の話 サンフランシスコ条約の中で日本は千島列島と南樺太を放棄しているけど、①「暴力及び貪欲により日本国が略取した地域」から日本を追い出すこと、領土不拡大のことを原則としたカイロ・ポツダム両宣言に基づいた日本降伏文書にソ連が署名していること ②ソ連がサンフランシスコ条約に署名していないことにより、サンフランシスコ条約での千島・南樺太の日本領有権放棄の条項の部分は本来整合性がとれていない。

「暴力及び貪欲により日本国が略取した地域」とはおかしな話だけど、樺太・千島交換条約とポーツマス条約により、どう屁理屈に考えてもこのような地域には当てはまらない。

だからこの前父さんが言っていた、理想の安倍談話「日本はサンフランシスコ条約で独立した、それ以上でも以下でもない」というのは、自主独立への橋渡しであって、将来的には破棄もしくは上書きされなければいけない。(もっと言えば、これは台湾や朝鮮、南洋諸島、遼東半島にも当てはまる話だとも思う。)

ソ連は上記の通り。支那はチベット・ウイグル・内モンゴル・台湾を侵略し、アメリカは領土不拡大とか言いながら南洋諸島をちゃっかり領有。
...具体的に色々調べてわかったけど、結局戦後秩序は無茶苦茶ということやね。(ここまでがメール)

 その通りです。歴史とは勝者の都合です。孫子の兵法が言うように相手を騙してでも、出来るだけ戰爭はしない方がいい。騙し合いである外交で決着をつけた方がいい(武力の背景がなければ外交はできませんが)。そして、どうしても戰爭をしなければならないときは、敗けてはいけない。先の大戦は、勝つことはできなかったでしょうけれど、引き分けに持ち込むことは十分可能でした。

 明治の将軍たちは、敗けない戰爭を志向していました。山本権兵衛は、戰爭をするに値しない将軍たちは、どんなに維新の功績があっても首にしました。

 なのに、昭和の軍隊は、官僚化してしまいました。たとえば海軍の「ハンモックナンバー」。海軍兵学校や海軍大学校の時の成績順がその後の出世を固定化してしまいました。無能な将軍が何人か戰場に出てしまいました。悔しい。

 それでも、我が國の軍隊は世界一まともでした。あの大戰で引き分けに持ち込めたら、太平洋の平和は保たれたでしょう。朝鮮戰爭もベトナム戰爭も起きていません。共産主義があれほど幅を利かせませんでした。アメリカはここまで我がままな國になりませんでした。朝鮮も台湾も今の何百倍も幸せになったでしょう。アジアの國々の経済発展と政治の安定はもっと早かったでしょう。チベットも新疆ウイグル自治区も支那に侵略されていなかったでしょう。我が國で、左翼や日教組やアカイメディアが跳梁跋扈していないでしょう。正しい歴史が残っていたでしょう。あの戰爭は敗けてよかったと思っている國民もいなかったでしょう。

 なんとか我が國を戰爭に導きたいアメリカは、馬鹿な事をしたものです。

 くやしいな~。

 大戰で亡くなった英霊たちに対して、恥ずかしくない國創りを誓う日です。我が國は侵略戦争をした歴史などありません。

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このページは、宝徳 健が2013年8月15日 06:03に書いたブログ記事です。

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