後世の毀誉、子孫の得喪

| コメント(0) | トラックバック(0)
 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「当今の毀誉は懼るるに足らず。後世の毀誉は懼る可(べ)し。一身の得喪は慮るに足らず。子孫の得喪は慮る可し」
「生きている間に褒められたりけなされたりすることを恐れたり気にしたりすることは、自分の実践で証明できるので心配はないが、死んだあとに出て来る毀誉は、訂正の手段がないから注意しなければならない。同様に、我が身の利害得失は自分で処理できるから心配する必要はないが、子孫に及ぼす利害得失については、よくよく考えておく必要がある」

 反省します。私なんか、まさに当今の毀誉、一身の得喪の生き方です。

 かつての我が國はこの生き方を貫いたために世界最古の國、世界で唯一歴史が継続した國になったのでしょうね。

 諸葛亮孔明が亡くなった時、孔明に罰せられた人たちまで涙を流したと言います。後世の毀誉ですね。支那人にはたまに素晴らしい方が出ます。

トラックバック(0)

トラックバックURL: http://www.soepark.jp/mot/mt/mt-tb.cgi/4867

コメントする

月別 アーカイブ

Powered by Movable Type 4.261

このブログ記事について

このページは、宝徳 健が2013年8月24日 05:00に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「ササン朝ペルシャ」です。

次のブログ記事は「昭和三十五年 2(皇紀二千六百七十三年八月二十三日の日誌)」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。