ローマ皇帝を屈服させた司教

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 一昨日のブログで、朝日、讀賣、日経、NHKのことを書きました。毎日と産經は?というご質問をいただきました。毎日新聞にはもう存在感も存在意義もありません。ミッションもビジョンもない。ただ赤いだけです。う~ん、なんてつけようか?考えておきます。

 産經も最近は頼りない。昨日と今日の産經新聞なんて、読むところがほとんどありません。ただし、産經には、阿比留瑠比、田村秀男、福香織(今はフリー)などの綺羅星の如く輝く記者がいます。体制に慮らず、どうどうと正義を主張する彼らには共感が持てます。

 あっそうだ、夜郎自大の朝日、詭道の讀賣、大本営の日経、曲学阿世の毎日でどうでしょう?NHK?
日本破壊協会で十分です。

 さて、私はブログや士魂商才を書くために、切抜きとかコピーが大量にあります。掃除をしていたらたくさん出てきます。面白い記事があったので、忘れないうちに書いておきます。
 四世紀のローマ帝國に会って、キリスト教は公認されましたが、まだ國教ではありませんでした。四世紀末、エーゲ海の北岸のテサロニケというところで、民衆千人が虐殺される事件がありました。人気のある戦車馭者が同性愛の禁令を犯したかどで守備隊長に捕えられましたが、民衆がこの隊長を殺してしまいました。この知らせに激怒したテオドシウス帝が報復処置を許し民衆を虐殺したのです。

 ミラノ司教アンブロシウスは協会の会議で皇帝の有罪を宣告し、教会への立ち入りを禁止しました。皇帝自ら公に罪を懺悔しないと許さないという訳です。はじめ皇帝は勧告に従いませんでしたが、やがて屈服し、教会の洗礼を受けました。

 十一世紀にも同じことがありました。「カノッサの屈辱」です。神聖ローマ皇帝が雪の中で三日三晩も亦され教皇から破門を解かれたという事件です。高校の教科書に載っていましたね。



こんな絵です。
覚えていますか?









 塩野七海さんの「ローマ物語」を読むと、ローマ帝国は実にすばらしい政治システムを持っていました。我が國の古代と似ています。それを、残虐なキリスト教が壊してしまいました。もったいない。キリスト教は、美しいものを壊すのが好きなようです。

 政治に口を出す宗教はろくなものではありません。神道は宗教ではありません。教義経典がありません。我が國國民の心、生き方そのものです。我が國の國体です。

 靖國神社に行ったら政教分離をメディアは叫びますが、おかしな話です。なら公明党はどうなるの?

 我が國では、信長が横暴な宗教を叩きのめしてくれたので、それ以来、宗教が政治に口を出すことがなくなりました。危機は、宣教師の来日でしたが、それも我が國ではうまくいきませんでした。敗戦前の我が國において、國を壊そうとしていたのは、共産主義者とキリスト教徒です。共産主義者を警察が取り締まるのは当然なのに、いろいろな本を読むと、國や警察が悪いとなっています。映画などでも・・・。

 あ~、早く、かつての素晴らしい我が國に戻らないかなあ(もちろん私も努力します)。たかだか二百年ちょっとの程度の低い國から押し付けられた程度の低い民主主義なんて捨てて、人間社会で最も素晴らしく、我が國でしか実現しなかった家族主義に戻ればいい。

 生きている間に実現したいな~。

分け合って 余らせてきた 家族主義 民主主義は 奪い合うのみ

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このページは、宝徳 健が2013年9月15日 09:49に書いたブログ記事です。

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