我れ先ず服して

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 佐藤一斎先生の「言志四録」からです。

「理(ことわり)到るの言は、人服せざるを得ず。然れども其の言激する所有れば則(すなわ)ち服せず。強うる所あれば則ち服せず。挟(さしはさ)む所有れば則ち服せず。便ずるところ有れば則ち服せず。凡(およ)を理到って人服さざれば、君子必ず自ら反(かえり)みる。我れ先ず服して、而(しか)る後に人之に服す」
「道理に叶った言葉は、誰でも服従しないわけにはいかない。しかし、その言葉に激しいところがあると、聴く人は服従しない。無理に押し付けることがあると、服従しない。身勝手な私心を挟むことがあると、服従しない。言う人の利便を図ろうとするところがあると、服従しない。凡そ、道理が行き届いていつと思っているにもかかわらず、人が服従しない時には、君子は自ら反省し、先ず自分自身が納得すれば、その後に人は服従するものである」

 よい言葉ですね。

自らの 思ひをもとに ことなすは 道理に加へ 道義必要

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このページは、宝徳 健が2013年10月 5日 06:36に書いたブログ記事です。

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