鱖魚群

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 今は、七十二候 六十三候 大雪 末候 「鱖魚群」です。「さけむらがる」と読みます。鮭が群がり川を上る頃です。

 変なことを思い出した。
 小学校三年生だったかなあ、四年生だったかなあ。國語の先生が「上る」を「あがる」と読みました。おかしいなあ、と思った私は「あがる」は「上がる」で、上るは「のぼる」ではないかと質問しました。言わなきゃいいのに。先生は当然自分のミスをわかっていらっしゃいました。でも、当時、学校の先生に口答えしたりミスを指摘したりするなんて言語道断です。案の定先生は、顔を真っ赤にして「あがる」でいんだとの主張を撤回しません。「正しいこと」でも、力がない者が云ってもそれは「正しいこと」にはならないんだと思いました。力なき正義は正義に非ず。

 これには後日談があります。学校給食が、あの思い出すのもおぞましい「脱脂粉乳」から牛乳にかわることになりました。生徒たちは、躍り上がって喜びました。先生がプリントを配りました。國語事件の先生です。そこには「コーチ-牛乳かフルーツ牛乳か普通の牛乳の希望する欄に〇をつけなさい」と書かれていました。

 私はうれしさで飛び上がりそうになりました。コーヒー牛乳が大好きだからです。すると、この國語事件の先生が云いました。「全員、白牛乳(普通の牛乳)に〇をつけるように」。私は云いました。「では、この紙はなぜ配られたのですか?」。言わなきゃいいのに・・・。

 先生は顔を真っ赤にして「そんなことはどうでもいい。全員、白牛乳に〇をつけて明日持って來るように」。まだ小さかった私は、この不合理・不都合・鬱陶しさへ抗する術を知りません。すると「宝徳、おかしいよな。明日はコーヒー牛乳に〇をつけて持ってこよう」という仲間が4人ほど集まりました。家に帰ってこの不合理と戦うことを親に宣言し、次の日に意気揚揚とコーヒー牛乳の欄に〇がついた紙を持った私が教室にいました。紙が回収されます。先生が云いました。「先生の云うことを聞けない人間が一人だけいる」と。

 「えっ?」と思い、周りを見回すと、昨日の仲間が下を向いています。裏切り者~(笑)。

 先生は、私に授業の間中、一日、教室の後ろで立っているように命じました。國語事件の腹いせもあったのでしょう。

 こういうことを書いていると思い出します。昔、企業にいませんでした? 自分の権勢を見せつけるために、やたらと自分の部海外の人間も昼飯なんかに誘って、「おお、今日はおごりだ。何でも食っていいぞ」と云いながら、自分と同じものを頼まない人間をあとからいじめるような人・・・・・・(笑)。こういう人の時も、私は、しらっと「何でも食っていいんだ~」と思いながら、自分の好きなものを注文していました。

 こんな小さな抵抗はどうでもいいんですが、「鮭が群がり川を上る」の「上る」を書いた瞬間、こんな思い出が出てきてしまった(涙)。世の中は不合理・不都合・鬱陶しさであふれかえっています。小学生の頃でも。でも、今、こんなことをしたら、PTAやモンスター・ピアレントが黙っていません。黙っとけよ。じゃあ、子供は、いつどこで不合理・不都合・鬱陶しさを味わうんだい。人間形成において大切な人生の一幕です。今、思い出してもちょっと(かなり)悔しいけど(笑笑笑)。

 本当はこの時期に行われる「羽子板市」の思い出を書きたかったのに~。明日書きます。朝からすみません。

ほんの少し 幼き頃の 不合理が いままだ吾の 心に遺る

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このページは、宝徳 健が2013年12月18日 03:18に書いたブログ記事です。

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