百人一首 四十四

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 春の園遊会が催されました。欧州では、王のやることを庶民が眞似をしたら殺されました。庶民が王宮に呼ばれることなど、ありえませんでした。

 我が國では、活躍をしたら宮中に招かれます。和歌がうまくなれば参内が可能となります。つまり、天子の眞似をすることは當(当)たり前で、さらにそれを高めると仲間入りが出來たのです。君臣壹體(一体)といふ、理想の國家統治形態です。他國では實(実)現しませんでした。

 これが真実だと云ふことを示しているのが、和歌です。万葉集、百人一首をみても明らかです。

逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし
 參十六歌仙の壹(一)人 中納言朝忠です。

 この人は、かなりメタボだったそうなのですが、歌がうまかったのでよくモテたそうです。平安時代に行きたい・・・・。

「もし逢ふことがまつたくなかつたら、かえつて、つれないあの人を恨んだり、自分の運命を恨んだりはしなひだらうに」

 私は、学生時代まで、「恋愛」といふものをしたことがありませんでした。臆病者だつたのですね。でも、人を好きになつたことはありました。いつもその人のことを考えてしまひます。顔を見るだけでドキドキしてゐます。

 その時に、和歌を詠めたら素敵だつだのでせうね。この歌は「なかなかに」、つまり、「かえつて」逢えない方がましだと詠んでいます。つまり、まつたく逢えないならまだしも、もしかしたらといふ希望を持つばかりに苦しむのだといふ意味です。

 「こころ と こと と ことば」。かつての我が國臣民は、和歌を詠むことが出來ました。心を素直に表すことができ、そして、それを素直に言葉にできました。靖國や知覧に行つてご覧になつてください。少年のやうな戰士が見事な和歌を詠んでいます。

 敗戰後の我が國の教育が、いかに醜いものかがわかります。 

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このページは、宝徳 健が2014年4月18日 05:28に書いたブログ記事です。

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