百人一首 四十七

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 今回の歌をご理解いただくには、ちよつとだけある背景を知つておく必要があります。「河原院」といふ邸宅のことです。
 河原院は、百年にわたり王朝文学に登場します。「百人一首 十四」に登場した源融(みなもとのとおる)が造営した豪華絢爛な別荘です。源融は、陸奥國(現在の東北地方)に赴任したときに見た塩竃の浦(松島のことです)の海浜風景が忘れられず、わざわざ海水を運んでその風景再現した廣大な庭を造り、そこで盬(塩)づくりまでして楽しんだと云ひます。

 ところが、源融の死後約八十年もたつと、この邸宅は荒れ果てた寺になりました。当たり前ですよね。こんなもの維持できない。

八重むぐら しげれる宿の さびしきに 人こそ見えぬ 秋は來にけり

「つる草が生い茂るこのさびしい住まいに、訪れる人は誰一人としていないが、それでも秋はやつてきたのだなあ」

 恵慶法師(えぎょうほうし)の歌です。河原院のことを詠つてゐます。

 この歌が詠まれた頃、河原院には源融の曾孫にあたる安法法師(あんぽうほうし)が住んでゐました。恵慶法師は、安法法師の友人です。彼らは河原院に集まり、歌を詠みあひました。

 河原院は、この後さらに荒廃が進みました。今昔物語では、人を喰らふ鬼が住んでゐたとされます。

 「むぐら」=「つる草」です。「八重」=「たくさん重なる」です。なので「八重むぐら」は、つる草が生い茂つてゐる状態を表します。世の中のはかなさが詠まれています。
 

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このページは、宝徳 健が2014年4月26日 02:27に書いたブログ記事です。

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