金閣寺(歴史的假名遣ひと正しい漢字)

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 不朽の名作 三島由紀夫の金閣寺を讀みながら、正しい日本語を學習してゐます。

 繰り返しますが、今、書店で賣つてゐる三島由紀夫、谷崎潤一郎、森鴎外など素晴らしい作家の本は「現代仮名遣い(あへてかう書きます)」となつてゐます。これは、嘘です。そうするなら「現代仮名遣い」と云ふ前置きが必要です。文豪たちに失礼です。

 それにしても三島文學はすばらしい。

 さあ、有爲子の裏切りはどうなるのでせうか?つづきです。

 それから私にも、子供らしいお祭りさわぎのよろこびが生まれた。憲兵は手分けをして、金剛院を四方から圍むことになつた。村民の協力が要請された。意地の惡い興味から、私は他の五六人の少年と共に、案内の有爲子を先立ててゆく第一隊に加はつた。月の道を、有爲子が憲兵に付添はれて、先頭に立つて歩くその確信にみちた足取に、私はおどろいた。

 金剛院は名高かつた。それは安岡から歩いて十五分ほどの山かげにあり、髙丘親王の御手植の栢(かや)や、左甚五郎と傳へられる優雅な三重塔のある名刹である。夏にはよく、その裏山の滝を浴びて遊んだ。

 川のほとりに本堂の塀がある。やぶれた築泥の上に、芒(すすき)が生ひ茂つて、その白い穂が夜目にもつややかに見える。本堂の門のそばに山茶花が咲いてゐる。一行は默々と川ぞひに歩いた。

 金剛院の御堂は、もつと昇つたところにある。丸木橋をわたると、右に三重塔が、左に紅葉の林があつて、その奥に百五段の苔蒸した石段がそびえてゐる。石灰石であるためにすべりやすい。

 丸木橋を渡る前に、憲兵がふりかへつて、手振りで以て、一行の歩みを止めた。むかしここには運慶湛慶作の仁王門があつたのださうである。そしてここから奥、九十九谷の山々は金剛院の寺領になつてゐる。

 ・・・・・私たちは息をひそめた。

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このページは、宝徳 健が2014年8月16日 06:19に書いたブログ記事です。

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