金閣寺(歴史的假名遣ひと正しい漢字)

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 つづきです。
 それも私には煤けた奇妙な偶像と見えただけで、何の美しさも感じられなかつた。さらに二階の潮音洞に昇り、狩野正信の筆と云はれる天人奏樂の天井畫を見ても、頂上の究竟頂きの隅々にのこる、哀れな緊迫の痕跡を見ても、美しいとい思ふことはできなかつた。

 私は細い欄干に凭(もたれ)てぼんやり池のおもてを見下ろした。池は夕日に照らされ、銹(さび)た古代の銅鏡のやうな鏡面に、金閣の影をまつすふに落としてゐた。水草や藻のはるか下方に、映つてゐる夕空があつた。その夕空は、われわれの頭上にある空とはちがつてゐた。それは澄明で、寂光に満たされ、下方から、内側から、この地上の世界をすっぽり呑み込んでおり、金閣はその中へ、黑く錆び果てた巨大な金無垢の怒りのやうに沈んでゐた。・・・・・・・


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このページは、宝徳 健が2014年9月15日 07:45に書いたブログ記事です。

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