凛として 五

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 つづきです。
第1章 旅立ち
「どんな仕事も新鮮」蒸留所に飛び込み目と肌と鼻で学ぶ

ツテもなく渡英した24歳 つづき

 勢い込んで臨んだ講義には、日本で学んだ以上の内容はなかった。図書館で関係書を読みあさる政孝に、ウィルソン教授は、「ウィスキー並びに酒精製造法」(J・A・ネルトン著)という本を勧める。政孝が帰国後もウイスキーづくりのバイブルとして手放さなかった一冊だ。何度も読みなおすうちに、政孝は著者に直接教えを請いたいと思い始める。ネルトンは、エルギンに住んでいた。

 四月、政孝はグラスゴーから汽車でエルギンに向かった。駅前のステーションホテル(現レイクモレイホテル)に宿を求め翌朝、ネトルトンを訪ねた。

「本場のウイスキーづくりを学びに日本からきました。ぜひ指導を願いたい」

 率直に切り出す日本人青年に、ネルトンは答えた。  つづく




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このページは、宝徳 健が2014年9月20日 03:01に書いたブログ記事です。

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