金閣寺(歴史的假名遣ひと正しい漢字)

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 くらくらくるぐらい奥の深い日本語を味わふことができます。敗戰後教育を受けた私たちは、一體何を学んできたのでせうか? 歴史にしても國後にしても嘘ばかりでした。

 つづきです。
 ―葬列がもう一二丁で燒場へ着くといふとき、私たちは突然の雨に會つた。折りよく氣のよい檀家の前だつたので、柩もろとも雨宿りをすることができた。雨は止むけしきがなかつた。葬列は前へ進まなければならなかつた。そこで一同の雨具が整へられ、柩は油紙で覆はれて燒場へ運ばれた。

 そこは村の東南へ突き出た岬の根方の、石だらけの小さな濱である。そこで燒く煙は村の方へひろがらないので、昔からそこが燒場に使はれて來たものらしい。

 その磯の波は格別荒い。波が動揺しながらふくらんで砕けようとするあひだにも、その不安な水面は、間断なく雨に刺されてゐる。光のない雨はただならぬ界面を冷静に刺し貫いてゐるだけである。しかし雨風が、ふとして雨を荒涼とした岩壁に吹きつける。白い岩壁は、墨の繁吹を吹きつけられたやうに黑くなる。

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このページは、宝徳 健が2014年9月28日 05:44に書いたブログ記事です。

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