金閣寺(歴史的假名遣ひと正しい漢字)

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 三島由紀夫の不朽の名作 金閣寺を讀みながら、正しい日本語を學習してゐます。それにしても、「えっ?この言葉は何?」「えっ?これはなんて讀むの?」というシーンがたくさんあります。つまり、私たちは、この名作を讀むことができない、間違つた日本語を學んできたのです。福田先生が嘆くはずです。

 では、つづきです。
 粥有十利(しゆーいうじーりー)
 饒益行人(ねういーあんじん)
 果報無邊(こほうぶへん)
 究竟常樂(きうきんじやうらー)

 といふ粥座(しゅくざ)の經を讀んで、お粥をいただく。食後に草取り、庭掃除、薪割りなどの作務をする。學校がはじまれば、そのあとで學校へゆく時間になる。學校からかへると、やがて藥石である。そのあとでたまに、住職が經典講義をして下さることがある由である。九時には開枕(かいちん)、つまり就寝になる。

 私の日課は右のやうなもので、一日の目ざめの合圖(あいず)は、厨番の典座(てんざ)さんの鳴らしてまはる鈴(りん)のひびきであつた。

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このページは、宝徳 健が2014年10月17日 02:59に書いたブログ記事です。

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