金閣寺(歴史的假名遣ひと正しい漢字)

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 金閣が灰になるかもしれない・・・・・・といふ描写が見事です。これが後々の事件につながります。
 明日、天から灰が落ち、その細身の柱、その優雅な屋根の曲線は灰に歸し、二度と私たちの目に觸れないかもしれない。しかし目の前には、細緻な姿が、夏の火のやうな光を浴びたまま、自若としてゐる。

 山の端には、父の枕經のあひだに、私が目のはじに感じたやうな、いかめしい夏雲が聳えてゐる。そのれh鬱積した光を湛へ、この繊細な建築を見下ろしてゐる。金閣はこんなに強い晩夏の日ざしの下では、細部の趣を失つて、内に暗い冷ややかな闇を包んだまま、ただその神秘な輪郭で、ぎらぎらした周圍の世界を拒んでいるやうに見えるのである。そして頂きの鳳凰だけは、太陽によろめくまいとして、鋭い爪を立てて、臺座にしつかりとつかまつてゐる。

 私の永い凝視に飽きた鶴川は、足元の小石をひろつて、あざやかな投手ぶりで、それを鏡湖池の金閣の投影の只中になげうつた。

 波紋は水面の藻を押して広がり、忽ちにして、美しい精緻な建築は崩れ去つた。

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このページは、宝徳 健が2014年11月 1日 05:59に書いたブログ記事です。

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