凛として 三十二

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 渡部はいう。
「つぶれそうな工場によくいるなあと友人にも言われましたよ。でも、働けるだけでもありがたいし、不安はなかった」
「良いものをつくれば必ず売れる」と、政孝は信念をもって社員に説いたからだ。渡部は戦後、倉庫に当時のゼリーが残っているのをみつけ、食べてみたことがある。
「何も変わってなくて、普通に食べられた。丁寧に作った本物だからですよ。サッカリンを使ったりは絶対にしない。私たちはちゃんと良心的なものをつくっていたのがわかってうれしかった」

 ウイスキーを蒸留するためのポットスチルは十年冬、ようやく一器が届く。

「これさえあればリンゴ・ワインやリンゴ・ブランデーをつくることができる」

 政孝は売れ残ったジュースを酒にすることを考えていた。社員たちは、今度は返品されたジュースの中身を釜に空ける作業にも追われた。

 設立二年目で赤字は莫大なものになっていた。政孝はこの頃のことを多くは語っていない。

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このページは、宝徳 健が2014年11月 6日 03:31に書いたブログ記事です。

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