虹蔵不見

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 昨日から、七十二候 五十八候 小雪 初候 「虹蔵不見」です。「にじかくれてみえず」と讀みます。

 小雪とは、寒さがすすみ、雪が降り始めるころです。立冬から數へて十五日あたりです。冬支度が始まる頃でもあります。

 そして、虹蔵不見は、虹を見かけなくなるころです。
 かつての我が國臣民の情緒には脱帽です。自然を崇め、自然と共に生きてきた私たちの祖先。それゆえに豊かさがあふれてゐました。

 今は、どうしてこんな風になつてしまつたのでせうか? 

 この頃の言葉に「返り花」といふものがあります。「忘れ花」「狂い花「狂い咲き」ともいはれます。冬に返り咲きをした花や二度咲きする花を云ひあらはした言葉です。

 身請けされた遊女が再び廓に入るときもこの言葉を使ひます。

 家族のために身賣りをすることは、それはそれは悲しいことです。でも、そのなかにも我が國らしさがありました。だいたい遊女は二十七歳か二十八歳で廓を出なければなりませんでした。つまり年季合明けです。

 そのために、和歌、書道、将棋、舞などを小さいころから敎へこみ、廓を出てから生計が立てられるやうにしました。我が國らしいですね。

 支那の遊女は、逃げられないやうに、目を潰されたさうです。えらい違いです。

悲しみの 廓の中に 一筋の 慮った 惻隠の情 

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このページは、宝徳 健が2014年11月23日 07:30に書いたブログ記事です。

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