凛として 四十

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 今日から第7章です。


第7章 最愛の妻
「鼻がもう少し低ければ。目も髪も黒くなれば」
日本人以上に夫を支え

漬物も塩辛も・・・徹底的に勉強

 竹鶴政孝の人生を語る上で欠かせないものがふたつある。ウイスキー、そしてスコットランドで出会った妻、リタだ。

「ヒゲのウヰスキー誕生す」によると、リタは大正九(1920)年、英国から日本へ渡る船の中で、はしの使い方を練習していた。着物の帯に興味を示したり、東京へ向かう汽車の中で稲穂を見て「あれは何?」と質問するなど、一日でも早く日本の生活に溶け込もうと努力した。

 リタは日本に来てまもなくから正隆のことを「マッサン」と呼んだ。「マサタカ・サン」の発音が難しかったからだ。「日本語を覚えたい」というリタに、マサタカは「日本語より日本料理を習ったらどうだ。一人前に日本料理が作れたら立派な日本人だ」と答えた。

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このページは、宝徳 健が2014年11月24日 10:16に書いたブログ記事です。

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