英霊たちの言霊 其の六

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 繰り返します。一部の不埒な國を除いて、誰しも戰爭は嫌です。死ぬのは怖いのです。愛する人と別れたくはありません。こんなことは當たり前のことです。

 でも、先の大戰で、英霊たちは、かつてのあの美しい我が國を守るため、そして、愛する人を守るために、それを凌駕する崇高な精神で、私たちに命を捧げてくださいました。その崇高な精神が我が國にはあつたのです。それを私たちが知ることは我が國臣民としての義務です。

 今の私たちの生き方は、それを侮辱してゐます。こんな私たちのために英霊たちが命を捧げたことを思ふと、自分自身が情けなくなります。

 集団的自衞權の閣議決定の際、私たちは何をやりましたか?! 愚かなる公明黨により、ポジティブリストとなりました。それを國民は支持しました。あの議論は「自衞隊員よ、いざとなつたら命を懸けて戰つてくれ。ただし、お前らの死ぬ確率を髙めてやつたからな」ということを意味します。氣づいてゐる臣民が何人ゐるのだらうか?

 片や財務省や日銀などの官僚はネガティブリストで政治を無視して好き放題やつてゐます。我が國のあの敗戰は、官僚のネガティブリストが最大の原因でした。

 世界最強の帝國陸海軍がなぜ敗れたか。それは、軍の官僚化です。

 英霊たちの事を知るたびに申し訳ない氣持ちでいっぱいになります。
富沢幸光命

北海道第二師範學校
北海道出身
海軍第十三期飛行豫備學生
大正十一年二月七日生まれ
昭和二十年一月六日沒
満二十二歳
海軍少佐

お父様
お母様

 ますます御達者でお暮しのことと存じます。幸光は闘魂いよいよ元氣旺盛でまた出撃します。

 お正月もきました。幸光は靖國で二十四歳を迎へることにしました。靖國神社の餅は大きですからね。(中略)

 父樣、母樣は日本一の父樣、母樣であることを信じます。お正月になつたら軍服の前にたくさん御馳走をあげて下さい。雑煮餅が一番好きです。ストーブを圍んで幸光の想ひ出話をするのも間近でせう。

 靖國神社では、また甲板士官でも大いに張り切る心算です。母上様、幸光の戰死の報を知つても決して泣いてはなりません。靖國で待つてゐます。きつと來て下さるでせうね。

 本日、恩賜のお酒をいただき感激の極みです。敵がすぐ前に來ました。私がやらなければ、父樣、母樣が死んでしまう。否日本國が大變なことになる。幸光は誰にも負けずにきつとやります。(中略)

 母上様の寫眞は幸光の背中に背負つてゐます。母上様も幸光とともに御奉公だよ、いつも側にゐるよ、といつて下さつてゐます。心強いかぎりです。

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このページは、宝徳 健が2014年11月25日 07:19に書いたブログ記事です。

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