英霊たちの言霊 其の八

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 つづきでし。遺書です。
 遺詠

君が代の 只やすかれと ひたすらに いざやううちなむ 醜(しこ)が軍(いくさ)を

 遺書
 (前略)二月前待ちに待ちたる特攻小隊長を命じられ只今猛訓練を致してをります。實は募集が三度も之までにありましたけれども常に熱望を書いたものです。

 愈々あと數日を出でずして南方へ此処筑波より進撃する事になりました。想へば生を享けて二十五年、色々とお世話にもなりご心配をお掛けした父母樣、兄上様、嫂様、姉樣方に厚くお礼を申し上げます。このご恩は今こそ盡忠と共にお返し出來る事と深く深く信じてをります。(中略)

 今出撃前に當たり淡々として考ふる事無し。只々如何にせば敵に突當り得るかそればかり念頭に有ります。

 最後に大學時代より現在に至る迄親身も及ばぬお世話になつた鈴木樣には私の亡き後よろしく申して下さい。生き馬の眼を抜く東京によくこんな親切な人があつたものとつくづく思ひます。

 戰爭が済んでから鈴木樣を呼んで話を聞いて下さい。

 これを讀む頃には、私は早敵艦に見事突當つてゐる事でせう。幾ら書いても切り無き爲この辺にて最後の最後の筆を留めます。

 父母樣始め皆様呉々もお身體ご自愛の上御國の爲に戰強増産の邁進して下さい。   敬具

                                                     勇より

 父母樣
  外御一同樣

 追伸

 私の可愛い雅子、一成、博志、陽子、靜香、身體を丈夫にして、父さん母さんの言ふことをよくきいて、よく勉強して立派な日本人におなりなさい。                   さやうなら

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このページは、宝徳 健が2014年11月28日 09:38に書いたブログ記事です。

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