金閣寺(歴史的假名遣ひと正しい漢字)

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 正しい日本語の迫力、柔軟性、優しさ、表現力とはすごいものですね。私たちは何を學んできたのでせうか? つづきです。
 鶴川はいつもかうして、私の誤解に充ちた解説者であつた。が、彼は私に少しもうるさくない、必要な人間になつてゐた。彼は私のまことに善意な通譯者、私の言葉を現世の言葉に翻譯してくれる、かけがへのない友であつた。

 さうだ、時には鶴川は、あの鉛から黄金を作り出す錬金術師のやうに思はれた。私は寫眞の陰畫、彼はその陽畫であつた。ひとたし彼の心に濾過されると、私の混濁した暗い感情が、ひとつのこらず、透明な、光を放つ感情に變るのを、私は何度おどろいて眺めたことであらう! 私が吃りながら躊躇つてゐるうちに、鶴川の手が、私の感情を裏返して沿度側へ傳へてしまふ。これらの愕きから私の學んだことは、ただ感情にとどまる限りでは、この世の感情も最善の感情と逕庭(けいてい:二つの間にあるへだたり)のないこと、その効果は同じであること、殺意も慈悲心も見かけに變りはないこと、などであつた。たとへ言葉を盡して説明しても、鶴川にはこんなことは信じられなかつたらうが、わたしにとつては一つの怖ろしい發見だつた。鶴川によつて僞善を惧(おそ)れなくなつたとしても、僞善が私には相對的な罪にすぎなくなつてゐたからである。

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このページは、宝徳 健が2014年12月10日 07:21に書いたブログ記事です。

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